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熱視線 前奏曲~プレリュード~

 桐生 明羅(あきら)は打ちのめされた。
 でもそれは毎年の事。
 やはり今年も二階堂 怜(れい)の演奏はすごかった。
 明羅の欲しい音がそこにあった。
 欲しくて欲しくて。
 でも自分には決して手に入らない音。
 何故あれが自分の物ではないのか。

 客席からじっと魅入る。
 10年間毎年決まった時期に1回だけ開かれるコンサート。
 10年前明羅はまだ7歳だった。どうして二階堂 怜のコンサートを知って行ったのかもう忘れた。
 多分ピアノの事なので母親から話を聞いたのだろう。
 ショパン国際コンクール二位入賞者で素晴らしい演奏をする、確かそんな位なはずだ。
 その時二階堂 怜はまだ17歳。
 鮮烈なデビューだった。
 だが二階堂 怜が日本で行うコンサートは年1回。
 しかもジャンルは問わずだ。
 古典クラシックからジャズまで演目は何をするのかまったく読めない。
 しかもそのどれもが秀逸なのだ。

 ありえない…。
 普通は得意な作曲家とか時代とかあっていいはずなのに、二階堂 怜の演奏はどれもが明羅の背に戦慄を走らせるのだ。

 10年。
 明羅は17歳になった。初めて二階堂 怜の演奏を聴いた時の二階堂と同じ年だ。
 それなのに…。

 自分の中に音が溢れている。
 でもそれを自分が表現する事が出来ない。
 どれだけそれがもどかしいか。

 毎年明羅は同じ席を取り続けた。
 年一回しか行われない二階堂のコンサートのチケットを取るのは容易ではなかったが明羅にはコネがあったので毎年それを手に入れた。
 毎年、毎年、今年は明羅を裏切るのではないかと期待と恐れを抱きながら会場に入る。
 そして打ちのめされて帰ってくるのだ。

 どうしたってあの音が自分には出せない。
 明羅の欲しい音。
 強弱、タッチ、ペダル、表現、どれもが明羅の琴線に触れる。
 そこは違う、という所が一つもない。
 どういう事なのだろうか。

 明羅はいつも二階堂の演奏に泣きたくなってくる。
 どうしてあれが自分ではないのか。
 あれは誰なのだ。
 
 やはり今年も二階堂 怜の演奏に明羅は打ちのめされた。
 もう10年だ。
 毎年1回だけの逢瀬。
 どこで何をしているのか全然情報はない。
 今の時代なのにブログも公式サイトもないのだ。
 後援会とかもない。学校も音楽学校出ではないらしい。
 二階堂 怜の全部が謎に包まれていた。
 それなのに毎年1回のコンサートは人が溢れている。
 耳の肥えた聴衆は二階堂の演奏を聴くと忘れられなくなる。
 噂が噂を呼び、そのチケットを入手するのが難しくなっていった。
 
 明羅とは違うすらりとした高い身長。大きな手。撫で付けられた髪は精悍な顔をさらに凛々しく見せている。
 ピアノに向かっている二階堂の見た目は淡々と見える。
 でもその音は情感に溢れているのだ。
 どうしてあんな演奏が出来るのか。

 見た目も相まって人気は年々高まっているのにCDも出さない。
 いったいどれだけ謎なのだろう。

 演奏が終わっても明羅はしばらく座席から動けなかった。
 もう10年。自分の将来ももう見切っていた。
 二階堂のコンサートに来るのはもう今年で最後にしようか…。
 ふと明羅は思った。
 もういいだろう。
 毎年引導を言い渡されているようなものだった。
 この音はお前のものではない、と。

 誰もいなくなった会場をのろのろと立ち上がって明羅は後にした。
 
 外はもうとっくに日が暮れ、暗くなっている。
 会場の周りは喧騒とした場所ではなく木々があり人影はもうまばらだった。
 あんなにいた二階堂の演奏を聴きに来ていた人はもうない。
 帰り道を急ぐサラリーマン位しかもう人影はなかった。
 それでもなんとなく明羅は帰る気になれずに街路樹を囲んでいる柵に腰かけていた。
 頭の中を渦巻くのは二階堂 怜の音だ。
 彼はまだここの会場にいるのだろうか?
 本当に実在しているのだろうか?
 今聴いてきたばかりの演奏だがそれは明羅にとって夢のような音だった。
 
 ぼうっとして明羅はそこに一人佇んでいた。

 「お前…」
 ぼうっとしていた明羅の目の前に二階堂 怜その人が立っていた。
 明羅は寝ぼけているのかと思った。
 「…帰らないのか?」
 その人の口が開いた。
 低いいい声だ。脳天まで痺れそうなくらいに。
 まだ明羅は現(うつつ)の世界に戻ってきていなかった。
 「帰る所がないんだ」
 なんて言ってみたりして。
 くすくすと明羅は笑った。
 
 

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