「痛い…」
朝ご飯を前に思わず右頬を押さえた。
「やだ!虫歯?」
「うっ……」
歯医者はヤダ!
草刈 桜(さくら)は思い切り顔を顰めた。
「なんでそうアンタは歯医者嫌なのかなぁ?行ったこともないくせに」
母親が呆れたように言う。
「え~~~!いいなぁ!私が代わりに歯医者行ってあげるよ!」
妹の撫子(なでしこ)が嬉々として言う。
「それならお母さんが代わりに行くわよ」
「だめ~!私!」
どっちでもいいから代わってもらえるもんなら代わって欲しい…。
「先生かっこいいから!」
母親と妹が声を揃える。
「じいちゃん先生亡くなったんだろ」
「それで代わりにお孫さんが来てくれたからやってるわよ。ちゃんと行きなさいよ?」
おふざけをやめた母親から保険証と金を渡される。
「…行きたくない」
「ばかね。我慢したって虫歯は治らないわよ。むしろ酷くなっていく一方よ?あんまり酷くなったら歯抜く事になるかもね」
さぁっと桜の顔色が青くなった。
「酷くならないうちに行ってきなさい」
びしっと母親に言われて桜は仕方なく頷いた。
「ほんとに若先生かっこいいのよ?」
ね~!と妹と母親が顔を綻ばせている。
「カッコイイって…それ、俺に関係ねぇだろ。可愛い女医さんだったらいいけどっ」
「ばかね~。あんたより可愛い女医さんいる確率かなり低いでしょ」
「ほんと最悪な兄貴だよね…」
じとりと撫子に睨まれた。
そんな事言われたって…。
「兄貴…?兄ってのが間違ってるよね、絶対…。なんでお母さんこんな男産んだの?」
「なんでだろうねぇ…ごめんね~、撫子」
ごめんね、って…。
色々言い返したいけど歯が痛くて口を開くのも億劫だ。それでも飯を食わなきゃ!と少しずつ口に運ぶけど痛くて食う所の話じゃない。
「お父さんもそんな大きくない人だったし、可愛い顔してたしねぇ」
父親は桜が小さい頃に交通事故で亡くなり、もういない。
それを思い出せば桜はどうしても申し訳ない気持ちが浮かんでくる。
「男なのに!私より可愛いって許せないんだけど!」
「撫子だって可愛いのに、お兄ちゃんの方がさらに可愛いから…」
だから許せないんだってば!と撫子が憤慨している。
俺だって好きでこんな顔やってるわけじゃない。
どうせなら背が高くてガタイが良くてカッコイイ男がよかったよっ!
何が悲しくて身長は160ちょっと、色が白くて、目がでかくて、髪の毛は茶色がかって、鏡で見ても可愛い女の子みたいな顔して生まれたんだ…。
「私は絶対桜ちゃんと違う高校に行く!中学校じゃ桜ちゃん知ってる人多いからもうヤダ!私がなんて言われるか知ってる!?撫子ちゃん可愛いよね。ソコまではいいの!その後よ!でも桜ちゃんの方がもっと可愛かった!桜ちゃん知ってる人は絶対こう付け加えるからねっ!そんなの分かってるからいいけど!分かってるけど、ムカツクっ!!!」
「そうだよねぇ…ごめんねぇ~撫子ぉ」
母親と妹が抱き合ってる。
「……学校行ってくる」
毎日といっていい二人のふざけあいに付き合ってなどいられるか。
あまり食べたという気がしない朝ごはんを終え、桜は鞄を持って椅子から立ち上がるとまたズキン、と歯が痛んだ。
「ぅ……」
「ほんとにちゃんと歯医者行ってきなさいよ?」
またふざけるのをやめた母親の言葉に仕方なく桜は頷いた。
「真面目に!あんたの可愛い顔が腫れたりしたら無残だから」
実の母親にも妹にも可愛いを連呼されるってどうよ?
「性格は男なのにねぇ…。可哀相に」
桜は頭を抱えた。
可哀相…。
「………いってきます」
「いってらっしゃい。あ、晩御飯当番桜だからね?」
「分かってる」
忙しいキャリアウーマンな母親はばりばり働く。父親が亡くなった後も一人で働いて自分と撫子を育ててくれた。
その働く母親に楽させたいと思っていつの間にか食事当番は当番制になっていたのだ。
それはいいけど、この二人のノリに疲れる…。
ほんとこんな小さな身体も可愛い顔も桜はいらないというのに。
歯のズキズキはひどくなってきた。
電車に乗って学校へ。
「おっす!桜。今日も可愛いねぇ…ってどうした?」
声をかけてきたのは小学校からの腐れ縁な黒田だ。
「…歯、痛くて…」
「ご愁傷様。そりゃ最悪だ」
まったくだ。
小学校の頃は自分と変わらない身長だったのに、黒田は今は桜が顔をちょっと上げなくちゃいけないくらいデカイ。
「……ムカツク」
ぼそりと桜が吐き出した。
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