5 蓮(REN) 七海さんがやっぱり見ていた…。
今まではっきりと確かめたことがなかったけれど、今日廊下で視線が合った事で思い切って生徒会室の方に視線を向けてみた。
六平さんが並んでいたのに一瞬面白くないと思ってしまうが、あの人は五十嵐が好きなはずで、七海さんとは本当にただの友人なはず。
自分でも気付けないほどの違いを気付くくらい七海さんが見ていてくれたと思えばどうしたって特別に思えてしまう。
それにいつも六平さんのちょっと後ろでしとやかな感じでいるのに見入ってしまう。
ふわりとした髪に触れてみたい。
近くではどんな表情をするのだろう?
いつも控えめな印象で前に出てくる事のない七海さんの本当の姿はどんななのだろうか…?
五十嵐といると六平さんが寄ってくるし、そこに七海さんもいる事が多いので距離が近づいているのにいつも視線はつい七海さんを追ってしまう。
遠くからでも声をかけられてからは探すようになっていたのが、距離が縮まったことでさらに見てしまうのが多くなっていた。
…それでも七海さんは蓮に視線を向ける事はなかったので、見ていてくれていると思ったのは勘違いだったのだろうか、と思ったのだが、勘違いではないらしい。
……でも考えてみれば普段は全然八月朔日の事などいないもののような態度で、七海さんが見ているのは部活中の蓮だけなのかもしれない。
もしかして、部活中の時だけしか七海さんは蓮に興味がないのか?
でも今日廊下で振り返ったら目が合った。
やっぱり見ていた…?
でも見ていたからってどうなんだ?という気がしないでもないけど。
自分の中で七海さんは気にして見てる、いや、部活だけ?いや、そうでもないかも…とぐちゃぐちゃと考えてしまう。
「八月朔日!何してる!?」
「あ、はい!スンマセン!」
コーチの声にゆったりとした助走からスピードを上げ、踏み切り、そしてバーを越える。
この瞬間の空が近づいた感じがする時が一番好きだ。
だから蓮は高跳びをやっているのかもしれない。この空を見たくて。
今はインターハイに向けて練習しなきゃない大事な時期だ。
まだ1年とはいえ、特待をもらって全国レベルの秀邦に通っているのだからそれなりの成績を残さなければならない。
地区予選ではそのプレッシャーに潰れそうになったが、今はそれがいい感じに自分にプラスされていると思った。
七海さんのおかげだ。
コーチでも気付かない、自分自身でも気付かなかった位の事を気付いて見てくれている人がいる、という事が自信に繋がっているのかもしれない。
自分がこんなに現金なヤツだとは知らなかった、とマットに背中から着地して空を眺めながらつい顔が笑ってしまった。
その日の部活の帰り、駅のデパートで書道展の看板を見つけた。
そういえば五十嵐が七海さんは書道家だと言っていた、と思い出し、書道家ってどんなものなのだろうと思わず興味をひかれて蓮はデパートに入っていった。入場料も無料らしいので、書の世界など全然分からない蓮はちょっとどんなものか見てみようかと思ったのだ。
自分みたいな書も何も知らないヤツが見てもいいのかなと思いながらも七海さんのいる世界がどういうものなのだろうと、自分なんかな場違いなような気がして緊張しながら閑散とした展示場の中に入ってみた。
………………………。
とてもじゃないけど何が書いてあるのか分からない字に文章。
う~~~~ん……と蓮は心の中で苦笑した。
やっぱりさっぱり分からん。
日本語か?とも思ってしまう。
絵とかだったらまだイメージだなんだと分かりやすいが、字が並んでいるのを見ても八月朔日には理解不可能だった。
いや、字が上手だな、とは思うけれど…。
それでも一応くるりと会場を見て回っていると一つの作品の前で足を止めた。
自分の身長よりも大きい紙に横に書かれた『飛翔』の文字。
黒々とした墨が躍動的に踊っていた。
本当に飛んでいきそうな勢いのある字。
『飛翔』…。自分にぴったりだ、と思ってしまう。
大きい紙に大きい筆で書かれたものなのだろう。墨が跳ねている。
それがまた飛ぶに相応しい感じに見える。
横に名前なのだろうか?『泉華』と書かれていた。
繊細な字。女の人?
でもこの『飛翔』の字は力強い。
しばらく八月朔日はその『飛翔』の前から動けなかった。
「あの、すみません。閉館なのですが…」
声をかけられて蓮ははっと意識を取り戻した。
「え!あ、すみません!…あのこの書道展っていつまでしてるんですか?」
「日曜までです」
日曜まで…。
この字をもっと見ていたい、と思いつつ八月朔日はその場を後にした。
なぜそんなに惹かれたのか……蓮はそれから毎日部活後に『飛翔』の字を見るためだけにデパートに寄るようになった。
テーマ : 自作BL小説
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