8 泉(IZUMI) どうする…?
あれは八月朔日を見てそれで書いたんだ、と告げるか告げないか…。
今まで近づかないできたのに…。
思わず素が出ている位に泉は動揺していた。
そして取り繕おうと思ってもさっきから全然うまくいかないのだ。
そしてまた八月朔日が泉の動揺する事ばかりを言うんだ。
「俺…あの『飛翔』って字に…すごい惹かれて…空に吸い込まそうな感じで…俺、いっつも自分が跳ぶ時の感覚と同じようで…」
こんな事言われたらもうダメだろう…。
泉は顔をあげ上を仰ぐと頭を抱えた。
自分の書いた字で、その本人にそんな賛辞を受けたら…。
「…………あれはお前だ」
「……………は?」
八月朔日がきょとんとした。
見た事もないようなマヌケ面だ。
「あれは…お前が跳んでいる所を見て…それで書きたくなって書いた…んだ」
ふいと泉は八月朔日の視線から逃げるように顔を背けた。
「……じゃ、そういう事で」
かっと顔が熱くなってくる。こんな事本人にも誰にも告げる気などなかったのに。
泉は脱いだスーツの上着をもって立ち上がった。
「七海さんっ!」
待って!と、八月朔日も立ち上がり、慌てて出て行こうとした泉の腕を掴んだ。
「七海さん……あれ……俺見て……?」
「そう今言った」
「………俺…図に乗っていい、の…?」
「ああ?どういうことだ?」
「七海さんはコーチも…いや、俺自身さえ気付かなかった俺の不調を分かる位俺の事見てくれてたって事だよね…?」
「…………」
何が言いたいんだ?
泉の心臓がさっきから大きく鳴っていて、まるで全身がどくどくと脈打っている様に感じてしまう。
「そしてあの『飛翔』って字が…まさか…。俺…自分間違ってないと思う」
「…間違ってない?」
「だって、たまたま入ったんです。本当に偶然…。五十嵐から七海さんは書道家だって聞いて、それで書道展なんかしてるからどういうものなんだろうと思って…すみませんけど、あの『飛翔』以外は俺全然惹かれなくて。俺には分からない世界だと思いながら眺めてたんです。あの『飛翔』の前に来るまでは。あれを見て時間忘れて見入って…。閉館だからって追い出されて…それでまた次の日も、その次の日も見に来て…今日で最後だと言うから見納めかと思って……」
「………見たけりゃウチに置いとく」
「見に行っていい!んです…か!?」
「……そんなに言う…なら…」
八月朔日の顔が見られない。
「七海さん…」
どうしたらいい?
今までずっと顔を合わせなかったのに。話す事もしてなかったのに。
学校では煩わしい事を全部退いていたのに。
「……この事は誰にも言うな」
「はい!言いません!」
八月朔日が満面の笑みを浮かべていた。
「俺と七海さんだけの秘密……?」
「……秘密で真実だ」
そう、アレが八月朔日の事とは誰も知らないのだ。気付いたのは本人だけ。
くっと泉が笑いを漏らした。
よりによって本人にバレるなんて。
しかも何も知らないくせに!
どうする?
泉は腕を掴んでいる八月朔日を見上げた。
175センチある泉でもちょっと見上げる身長だ。
スポーツ選手らしく短髪で爽やかだ。そして程よく筋肉はついているけれどしなやかな身体。
毎日目にしている姿が脳裏に浮かぶ。
そしてさっきから頭の中にあるのはどうしよう、という思いだ。
やっぱりアレは八月朔日を見て書いただなんて言わなければ良かった!それをコイツに言ってどうするんだ。
こんなに動揺して自分を隠す事も出来なくているのに!
「七海さん…」
「なんだ!?……手、離せ」
「嫌です」
嫌!?
思わず八月朔日をぎっと睨んだ。
「七海さんが逃げないなら離しますけど…」
逃げる!?
八月朔日がくいと泉の腕を引っ張りもう一度パイプ椅子に座らせたのに大人しく泉も座る。
…が、どうしていいか分からず顔を俯けた。
「七海さん…」
呼ばれてぱっと顔をあげると目の前に八月朔日の顔があった。
「俺…あの『飛翔』を見に七海さんの家行ってもいいですか?」
「………いい、と言った」
「…学校で話しかけても、いいですか…?」
「…………」
八月朔日の手はまだ泉の腕を掴んでいる。
話しかけていいか、と問われ、まさかダメだ、とも言えずに泉は八月朔日から視線を背けながら小さく頷いた。
だってあれは八月朔日なんだ。その本人に問われてだめだ、などと言えるはずがない。
テーマ : 自作BL小説
ジャンル : 小説・文学