20 泉(IZUMI) 「八月朔日、こっちだ」
きょろきょろと落ち着かない様子で八月朔日が泉の後ろをついてきた。
「あっ!」
泉の部屋のドアを開けるとどんと『飛翔』が置かれていたのを見て八月朔日が嬉しそうに声をあげる。
「うわ、…飾られていた時は感じませんでしたけど、部屋で見ると結構大きいですね」
ドア1枚位の大きさだろうか。
言われてみればそうかもしれない。
壁際に横に置かれていた『飛翔』に引き寄せられるように八月朔日がのろのろと近づき、すとんと『飛翔』の前に座ってじっと見ている。
その隣に泉も座った。
自分の部屋に八月朔日がいてそしてコレを見てるなんて。
横から八月朔日の顔と『飛翔』を見比べる。
八月朔日が無言でじいっと見入るのに段々と複雑な気持ちになってくる。
泉の方を見向きもしないでじっと見入ってるんだから。
こっち向け、と思ったらくるりと八月朔日が泉を見た。
「あ……」
ばちっと正面から視線が合うと八月朔日が照れたような笑みを浮べた。
「やっぱりいいですね」
「………ありがとう」
八月朔日にそう言われるのは嬉しい。なんといっても『飛翔』の本人だ。
でも、腕に巻かれた包帯が痛々しいし、あの血の量を思い出せば泉の顔が歪んでくる。
「八月朔日…」
そっと八月朔日の怪我していない方の腕に触れた。
「…痛いか…?」
「大丈夫です。……七海さんが怪我しなくてよかた…」
「そんな!だってお前はインターハイ前で大事な時期なのに…」
「そんな事どうでもいいです。…いえ、ほんといえば特待かかってるからどうでもいいわけじゃないですけど。でもいいんです…七海さんに怪我なかったから。……だって………俺は………」
八月朔日がじっと泉を見つめていた。
こくりと泉は息を呑み、八月朔日が口を開けたのにどきどきとしながら言葉を待った。
そこにコンとノックの音と母親のお布団運んで来たから開けて、という声に脱力してしまう。
うぬぼれていいか、と、ちゃんと言うと言った八月朔日の言葉にまた心臓がドクドクとなっていたのに…削がれた。
泉は八月朔日から視線を離し、立ち上がりると無言でドアを開けるた。
布団を運んで来た父親と母親に邪魔しに来るな、と言いたくなってしまう。
「あと、八月朔日くん、これ浴衣。パジャマ代わりに着てちょうだい。着方分かる?分からなくても泉が分かるからいいわよね。じゃああとお風呂も、泉」
「…分かってる」
「あの…ありがとうございます」
八月朔日がさっきの余韻で仄かに顔を赤くしたまま礼を言っていた。
さっきの続きは何て言うつもりだった?
「七海さんが怪我しなくて本当によかったです。大事な手ですもんね」
親達がいなくなってから八月朔日がそう言ったけど、絶対さっき言おうとした言葉と違うはずだ。
「俺も脚じゃなかったですし」
「………八月朔日…」
ちょっとがっくりしてしまう。
いや、何を待っているんだ?
何を期待してるんだ?
……してるに決まってる…。こうして八月朔日を連れ帰ってきて、自分の部屋に八月朔日がいるのに、期待しないはずない。
もう…。
ダメだ。考えられない。
なんで先週までは目を合わせなくても平気だったのだろう?
もうだめだ。
六平にばかにされても、会長に分かられても…もういい。
一緒の電車に乗って、庇ってくれて…怪我まで…。
それでもこうして一緒にいてくれる…。
「な、な、七海さんっ…?」
八月朔日の胸に縋った。
「……けが…驚いたんだ…」
怪我のせいにしとけ。その八月朔日の怪我でさえ、自分の為に負ったのだという事にどこか歓喜すら湧いているんだ。
勿論喜んでいるわけじゃない。喜んでいるわけではないけど、八月朔日に自分を思ってくれている証明を与えてもらったみたいで嬉しいとどこかで思っているんだ。
そうじゃない、といくら否定しても嘘だ。
八月朔日がずっと七海を庇って守ってくれた。
「七海さん…大丈夫ですよ?」
そっと八月朔日の手が泉の髪を撫でた。
「…ね、七海さん…こうされるの嫌じゃない?」
「……何が?」
「髪…触るの。七海さんいっつもぎゅって目閉じるから、嫌なのかなって思ったんだけど」
「別に…嫌ではない」
嫌どころか、感じてしまいそうになるんだ。
「じゃあ、触っていい、ですか…?俺ずっと七海さんのふわふわの髪に触りたかったんです…」
何度も八月朔日の手が泉の髪をかき上げるように撫でてくる。
「柔らかくてふわふわで…」
そう言いながら八月朔日がふっと泉の頭にキスした。
ぱっと泉が顔を上げるが八月朔日は視線を逸らして知らんふりだ。
今、キスしただろ?
そう聞けばいいのか?聞かない方いいのか?
………結局泉は聞く事が出来なかった。
テーマ : 自作BL小説
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