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熱視線 練習曲~エチュード~5

 「お前、かなり弾けるだろう?」
 外はすっかり夜で時間はもう7時を回っていた。料理はテーブルに並んでいて明羅は怜に申し訳なくなる。
 「え…?」
 「ピアノ。お前かなり弾けるだろうって言ったの」
 怜には嘘をついても仕方ないので小さく頷いた。
 「俺に聴かせてくれない?」
 「やだ」
 それは絶対に嫌だ。
 明羅はふるふると首を振った。
 シンセを叩く指を見たのだろう。しかし指を見られたらきっと怜の頭には明羅の作った音が分かっているかもしれないと少しだけ危惧する。

 「……ずるくないか?」
 「ずるくない。貴方はピアニスト。俺は素人」
 「……素人の域は越してるだろ」
 絶対嫌だ。頑なに明羅は首を振った。
 だって明羅の出したい音は怜の音なのだ。それを出せない自分の音は好きじゃない。
 「いつか絶対聴かせてもらう」
 怜は不遜な笑みを浮べた。
 「絶対弾かない」
 明羅も答えた。

 しかし目の前に並ぶ料理に目を瞠る。
 「…手伝わなくてごめんなさい…」
 そう言っても明羅など手伝いにもならないと分かっているが。
 「いや。どうぞ?口に合うかどうか知らないが。なにしろお坊ちゃまだからな」
 「…そんな事、ない」
 鳥のソテーにポトフ?サラダ…。明羅よりも太い指なのに繊細な音を出す怜の指は料理にも発揮されるらしい。
 「…おいしい」
 「それはよかった」
 明羅は怜を尊敬の眼差しで眺めた。その明羅を怜は怜で不思議そうに見ていた。
 「お前は何なんだろう…?」
 「え?」
 「……いや、何でもない」
 怜は首を捻りながら頭を振った。

 その怜を見て明羅は自分が服を買ってもらって、PCを自由に使って、ご飯を食べさせてもらって、かなりとんでもない事になっていると今更ながらどうしようという思いが湧いてくる。
 「機械の作業は終わったのか?」
 「え?ああ、と…まだ。あとちょっとだけ」
 「…あれも聞かせては貰えないのか?」
 「……ん。今纏めてるあれはだめ。別なのなら今度…」
 明羅のピアノではなく機械の音だったら別にいいだろう。ただ今日のは依頼の分だから駄目だ。怜の音が頭にまだ鳴り響いているからいくらでもフレーズは出てくる。
 「別なのはいいのか?」
 「…ん。怜さんのピアノ聴かせてくれるなら」
 「交換条件か?聴かせる位今日だって聴いたろ?」
 「違う。怜さんの音で俺の音が出てくるから…」
 「よく分からんが…楽しみにしていいのか?」
 「……楽しみかどうか分からないけど…」
 面映い。
 明羅の音が聴きたいという怜に恥かしいとも思うが嬉しいとも思ってしまう。
 
 明羅は片付けをする事しか出来ないのでそれをして、その間また怜は楽譜を見ている。
 「お前は?楽譜さらっておかなくていいのか?指も動かなくなるだろう?ハノンとスケール位やったら?」
 明羅はふるふると頭を振った。
 「いい」
 「よくないだろう」
 「…いいんだ…。ピアノはやめる」
 怜が眉を跳ね上げた。
 だが何も言わなかった。
 「ちょっとだけ籠もってくる。すぐ終わるから。まだ怜さん楽譜見てる?」
 「おう」
 「じゃ、終わったら、その、楽譜、見せてもらっても、いい?」
 書き込みを人に見られるのは普通は嫌だと思うが…明羅は伺うように怜を見た。
 「…特別だぞ」
 明羅は笑みを浮べて頷いた。
 さっさと音を纏めてヘッドホンで確認し、微調整をしてから圧縮してメールで送る。
 仕事完了。
 そそくさと電源を落としてリビングにいる怜の所に戻った。

 「もう終わったのか?」
 「うん。見せて」
 絨毯に楽譜を広げて胡坐を掻いて座っている怜の隣に明羅も座った。
 「ラフマニノフ…ピアノソナタ……2番が聴きたい…」
 怜は肩を竦めた。
 「ぺろっと弾けと?」
 「弾けるでしょ?」
 練習しないと、とか言わないからやっぱり弾けるのだ。
 「手、大きいから…鍵盤届く?」
 「一応」
 ラフマニノフは本人が手が大きくて明羅の指では届かない和音も楽譜にあるのだが、怜の手はやっぱり届くのか。
 「いいね」
 「…お前も何か弾け」
 「絶対いやだ」
 「簡単なのでいいから」
 「絶対に、い、や」
 「……なんでそこまで頑ななんだ?」
 だって明羅の理想は怜の音だから。
 「どうしても。なるべくあっちの早く聴かせられるようにするから」
 PC部屋の方を指差した。
 ピアノを弾くくらいならあっちの方がずっとましだ。
 怜はしぶしぶ頷いた。
 
 

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