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月からの甘い誘惑 38

 「碧、昼に外で見かけたけど…?」
 迎えに来てくれた久世さんの車に乗り込むと怪訝そうにしながら久世さんに問われた。 
 「うん…この辺の不動産屋も当たってみようと思って」
 「……そう」
 「……うん」
 碧は顔を俯けながら答えた。

 「久世さんにはホント迷惑ばっか…」
 「それは言わないと言っただろう?」
 「…ん…」
 こういう所は変わらない。
 けど……。
 久世さんのマンションについて碧は貸してもらっている部屋へ入っていく。
 とはいってもほとんどは碧の荷物置き場でしかない。主に衣類。

 最も碧の荷物はそれしかないのだ。
 持っていた荷物を置き、そして部屋を出てくると久世さんのスーツの上着がソファに置かれていた。
 それにくすりと笑いが漏れてしまう。
 どうしても久世さんはそこ等辺にぽいと脱いだ衣類を置く癖があるのだ。
 溜まっていたゴミ袋はもうなくなって、今は碧が久世さんのポイ置きしたものを片っ端拾っていくので部屋も綺麗。

 初めて来た日が衝撃的だった事を思い出すとくすくすと何度でも笑ってしまう。
 そして碧は笑いながらキッチンへ。久世さんはシャワーへ。
 生活のパターンが出来上がってきた。
 こんなに慣れちゃっていいのだろうか。
 そう思いながらもう久世さんの部屋のキッチンを我が物のように碧は使う。
 いいのかなぁと思いながらも久世さんから文句を言われた事もないし嫌な顔をされた事もないのでいい気になっている気がする。

 シャワーを上がってきた久世さんが冷蔵庫からビールを取り出していた所に碧がちょっとぶつかってしまった。
 「あ!…っと…悪い」
 久世さんが慌てたようにして碧から離れる。
 それに碧は顔を俯けた。
 ずっとここ何日か久世さんはこんな感じだった。
 いつから、といえば芹沢さんにあんな事された後だ。

 男に襲われたから…?
 碧が男を好きなのだと思っているのだろうか?
 まるで触られるのを嫌っているように碧を避ける。 
 普通はそうなのかもしれないとも思うけれど碧にしたら久世さんにそれをされれば心が苦しいだけだった。
 だからこそ早くここを出ないと。

 本格的に毛嫌いされているわけじゃないのは未だベッドの端を貸してくれている時の久世さんの態度で分かる。
 直接触れた時だけがあんな風にあからさまに碧を避けるのだ。
 やっぱり出て行った方がいい…?
 とりあえずという事で芹沢さんに聞いてみようか…?
 店の近辺の不動産屋に回ってみたけれどやっぱり安いアパートなんてなかった。
 値段をどれ位でお考えですかと聞かれて碧が答えたら一言そんな値段ではありません、と即座で言われてしまった。

 テレビでだって格安物件とかやってる時もあるのに、こうして探しているのにそんな物件は見つからない。
 もしくはちょっと前にはあったんですけど…と濁されもう決まってしまっているんだ。
 うまくいかない。
 気分も凹んできてしまう。
 久世さんが焦らなくていいと優しく言ってくれていたのにいい気になっていたけどもうそれに甘える事は出来なさそうだ。

 これ以上久世さんから嫌われるような態度をされたら…
 そう思っただけでも凹んでしまう。
 好き、なんて言えるはずないだろう。
 それなのに料理には必ずおいしいと言葉をかけてくれ、行きも帰りも迎えに来てくれて、さらになにかと気遣ってくれる。
 碧のおかげでご飯が食えるし部屋も綺麗になってるから、と久世さんは言うけれど、そんなの微々たる事だ。

 優しく笑うところが好きだ。
 大きく碧を後ろから支えてくれるような所も。
 でも今はそれが放り出されそうな気がしてならない。
 さっきのあの慌てた態度のように、碧がよりかかったら久世さんはさっと慌てて碧を避けてしまうのかも…。
 そう思ってしまうと心が寂しいと訴えてくる。
 今までずっと久世さんに頼りきっていたのがその支えをなくして木から落ちそうになっているひな鳥のような感じだ。

 親鳥だって言ったのに…。
 もちろんそんな事本気にしているわけじゃないけど、高校を出てからずっと一人で生活してきた碧にしてみたらその言葉にかなり依存してしまっていたらしい。
 …だめだ。やっぱりもう久世さんの所を出た方がいいのかもしれない…。
 このままいたらもっと依存してしまいそうになる。
 現に今だって泣いて縋って放り出さないで欲しいと言いたい位だ。
 そんな事言うのなんかお門違いなのに。
 久世さんは本当に無償の好意でしかないのに。
 
 

テーマ : 自作BL小説
ジャンル : 小説・文学

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