「声…いい声だな」
「そうですかね?…まぁ、たまに言われる事もあるけど」
「女の子の耳元で囁いたらすぐ落ちるだろう?」
容姿だって背高いし、きりっとしてかっこいいし。
「…別に試したことはないですけど…。今度試してみようかな」
凪の方を見て三塚が意味深に笑みを浮かべてきた。それにまたどきりとしてしまう。
三塚はストレートの黒い髪に目元は切れ長でおよそ自分にはないものばかりだ。
ぱくぱくと4つのケーキを食べながら頬がすこしだけ紅潮してくる。そういえばここに来てからレッスン室を除いてプライベートの空間に誰かを入れたのは初めてだった。
「…ところで…夕飯前にケーキって…大丈夫なんですか?そんなぎっちりじゃなくて味見程度でよかったんですけど…」
当惑したように三塚が凪を見ていた。
「え?ああ、ご飯食べなくてもいいから…」
「それはダメでしょう!コンサートもあるんでしょう!?」
「…あるけど…料理もできないから…」
「…普段何食ってるんです?」
三塚は凪が一人暮らしなのも近所の情報で分かっているのだろう。
「惣菜とか」
「……普段惣菜とかで今日はケーキが晩御飯…?病気になりますよ?」
「………別にいいんじゃないか」
他人事のように凪が苦笑を浮かべて答えると三塚が眉間に皺を寄せた。
なぜ凪の家のダイニングで3回しか会った事のない男と顔を合わせてこんな事を話しているのか。
どうにもおかしな具合になったな、と凪は困惑してきた。
ケーキの事は素直に嬉しいけど…どうして普段の事とかまで話さなきゃないんだ?
…誰とももう深く付き合うつもりもないのに。上辺だけでいいのに。
やっぱりケーキの試食も断ればよかったんだ。欲に負けてついここまで入れてしまったのが間違っていた。
「……ケーキの残りは後にして何かご飯食べて下さい。…余計な事ですけど」
「…………余計な事だ」
自分が頑なになっているのも分かっている。なんでも自分で自分の事は分かっている。けれど…自分ではどうしようもないのだ。
「…そうですね…すみません。では遅くまでお邪魔しました」
立ち上がった三塚に怒ったのだろうか、と凪は不安になる。
「…では来週また来ますね」
「………ああ。…あの、ケーキ…ごちそうさま…」
「どういたしまして。……また持ってきます」
「……………」
もう持って来ないとでも言うのかと思ったら違ったらしい。でも、それもまた複雑な気持ちになってしまう。もういい、と告げればいいのにダメもいいも結局言えないまま玄関まで見送った。
三塚の後ろを歩くと甘い匂いがやはり鼻腔を仄かに擽ってくる。
どうしたらいいのだろう…?自分が人付き合いが下手なのは分かっているが…。
「遅くまで本当にすみませんでした」
「いや…それは別に…」
三塚の顔が怖くて見られなかった。
「……コンサートもあるんですからお体には気をつけてください」
「………」
小さく頷くだけにしておく。口を開けば放っておいてくれと言ってしまいそうだった。
「ではまた来週来ますね」
「ああ……待って、る…」
凪は顔を俯けたまま小さく答えた。
三塚が親切で言ってくれたのは分かっているのに…。それを素直に受け止められない。
結局凪は三塚の顔も見られないろくな返事も返せないまま、そして三塚は帰って行った。
玄関の鍵を閉めてダイニングに戻る。
そういえば飲み物一つも三塚に出してもいなかった。今はレッスンの時間じゃなくプライヴェートの時間だった。ケーキももらったのに…。
残ったケーキをフォークですくった。甘すぎず飽きる事はない。これを生み出しているのが三塚の手なんだ。ピアノも弾けて器用な手なのだろう。凪の手はピアノしか出来ない手だ。手だけじゃない。何もかもが不器用だ。
「…おいしい」
綺麗なチョコにコーティングされたケーキ。赤い色のフランボワーズの甘酸っぱいムース。チョコとカシスが層になったムース。パイ生地に挟まれたイチゴと生クリームのたっぷり入ったケーキ。
どれも見た目も味もおいしい。嬉しかったのに…。
三塚から漂ってきたおいしそうな甘い匂いの謎も分かって、ちょっといい感じで付き合えるのではないかなんて甘い事を思ってしまったけど…。
なんでこう自分には学習能力がないのだろう…。
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