「じゃ、もう一度初めから…」
生徒が曲の冒頭から弾き始めた。
…夜に来るって…どうして…。何をしに…。
三塚の声を思い出すだけでぞくんと身体に疼きが走る。それに三塚は仕事中だったからか甘い香りがいつもよりも強くて…。
「凪先生?弾き終わったよ?」
「え?あ、うん!さっきよりも上手に弾けてたね!」
「うん!」
やば…聴いてなかった!
…三塚があんな事言うからだ…。もうずっと三塚の事が気になってつい時計を見るのが多くなってしまう。なぜこんなに気にするのか…。
…なぜ、なんて白々しいか。
「これは上手に弾けたからマル。じゃ次のページの曲にいこう」
「やった!」
気にしちゃいけない。惹かれてどうするんだ。レッスンの関係だけでいい。上辺だけでいいんだ。
自分をきちんと確立させておけ。流されちゃいけない。
…人なんて信用しなくていいんだ。
「来週のレッスンまで出来たら両手で合わせて、ね」
「分かった!」
一人が終われば、次の子。レッスンをこなしていくうちに時間は過ぎていく。
「…また来週」
「ありがとうございました~!」
靴を履いて玄関を出て行く今日最後のレッスンの子を見送って凪はほうと溜息を吐き出す。
レッスン室に戻り、出した教材などを片付けているとインターホンが鳴った。
「はい」
がちゃりとドアを開けると三塚が立っていた。
「レッスン終わりですか?」
「…ああ、丁度終わった所だ」
「図々しいですが、あがらせていただきます」
「ちょっ!」
玄関で追い返そうと思っていたのに三塚は凪の都合を聞きもしないでするりと体を玄関から中に入れるとすでに知っているキッチンの方に向かって行く。
「ちょっと!何なんだ!?」
追いかける凪を無視して三塚は手に何やら荷物を持って家の中を横切った。
「凪、はい座って。ケーキどうぞ。いや、ケーキというかムースですけど。ヨーグルトとイチゴのムースです」
三塚が凪の身体をダイニングに座らせ持ってきていた箱の中からガラスの器に入ったものとスプーンを取り出して凪の前に置いた。
「それをまずは食べといて下さい」
まずは?
甘酸っぱい香りに思わず文句を言おうとした口を閉じてしまう。
「キッチン借りますよ」
「え?」
すたすたと三塚は凪の事など意に介さずキッチンに入っていく。
「…………凪、……ちょっと聞いていいですか?…使った事あるんですか?キッチン」
「………ない」
三塚がキッチンの引き出しやら戸棚を開けて見ている。
「いったいどう言う事です?調理器具が全然ありませんけど!?」
「使わないから」
「…ここ、凪のお母さん…住んでたはずですよね?」
「母も料理はしなかった」
なので、本当にあるのは必要最低限の物だけ。
「嘘だろ……あなた一体どうやって育ったんですか?」
「どう……?」
凪は頭を傾げた。
「食事の事か?売ってる物で」
三塚が頭を抱えていた。
「信じられない!」
「でもそうだけど…?ピアノしかない人だったから」
そう…食べる間も惜しんでピアノばかり弾かせられてきた。
「もしかして何もないかも…とは思ってきたけど…まさか本当にここまで何もないとは思ってもいなかった!…ガスは使えるんでしょうね?」
「多分。お風呂もガスだし」
三塚はカチカチと音を鳴らしてガスをつけているらしい。
「…分かりました。いいです。凪はそれ食べてて」
なんだか、怒られている気分になって黙ってスプーンでムースをすくった。
「…おいし…」
甘酸っぱい味が口に広がると疲れが溶けそうな気がする。…だからケーキが好きなのだろうか?ムースが口の中で蕩けてなくなる。
あまり好んで買わなかったムースだったが、食欲がない時にはいいかもしれない。このヨーグルトとイチゴというのもすっきりしてもったりとしてないし……。
…もしかして凪が何も食べられないと言ったからコレか…?チョコのムースとかだったらさすがに重い感じがする。
少しずつ口にムースを運んでいると何やらいい匂いがしてくる。
「…食べ終わりましたか?」
「え…あ、うん…今終わる…」
キッチンの奥から三塚の声が聞こえて素直に返事してしまった。
戸棚を開けて三塚が何か食器を取り出している。
「ではこれをどうぞ。雑炊です」
「…はい?」
「ゆっくりですよ」
そう言って湯気の立つ雑炊を凪の前に置き三塚が向かいに座った。
「どうぞ」
…………コイツは一体何を考えているんだ?
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