今日は何事もなく三塚が帰って行った。
その後、三塚が持ってきた箱を開けてみる。スイートポテトにプリンだ。プリンは一個でスイートポテトはごろごろといくつも袋に入っていた。
どこが失敗なのだろう?と思いながら一つを食べてみるがやはり美味しい。
スイートポテトは買った事なかったけど、三塚の作る物はどれもおいしいし優しい味がする気がする。ケーキもそうだ。いつも凪が買いに行く時は目移りしてしまって自分が惹かれるものだけ買ってきていたが、ムースもおいしかったし、きっとどれも美味しいんだと思う。惣菜や冷凍モノも受けつけず、今は甘いものでさえ受け付けないのだが、三塚の持ってくる物だけは口にできた。それが不思議で仕方ない。
だがこんな状態もあと数日の我慢だ。
コンサートを無事終わればまた通常に戻るはず。今までも何回も繰り返して来た事なのだから。
三塚が帰り間際、凪のコンサートを楽しみにしています、と一言だけ告げて帰って行った。
その三塚の目が大丈夫ですか?と問うているような視線だったのは気づかないふりをした。顔色が悪くなっているのは自分でも分かっていたのだがこれはどうしようもない事。
コンサートといっても凪は名があるわけでもない。一応国際コンクールで入賞した事がある事とあとはこの顔のおかげでコンサートをする度に来てくれるファンはいた。素人が聴けばそれなりに聞こえるだろう位の自信はあるが、自分はそこまでだ。
数年前に聴いたピアニストの天才ぶりに、あんな背筋がぞくっとくるような演奏が自分には出来ないと打ちのめされた。自分だってある程度弾く。耳も肥えている。それなのにそのピアニストの音が一音一音が凪に突き刺さって来た。
会場全体のスタンディングオベーション…。そんなの自分のコンサートではまずない。ブラヴォー!位なら声がかかる事はあったが、会場全体が一体感を持つような演奏などできたためしはなかった。
ベッドに横になって凪は目を閉じ楽譜を頭の中でさらう。
弾くイメージは出来ている。そして弾ける。…でも足りない。分かっている。毎日毎日頭の中は葛藤だらけだ。
ピアノから離れないうちはこれがなくなる事はないのだろう。そしてピアノ以外何もない自分はいつまでたってもこの迷宮を抜け出す事などできないんだ。
暗い闇の中をいつでも彷徨っている気がする。時には茨が突き刺さり、時には落とし穴に嵌まりながらも出口を求め這いずりまわっている。
一生これが続くのだろうか…?
凪が顔を覆った。…そしてきっとそうなのだろうと諦めるんだ。
そしてコンサートの日はあっという間にやってきた。
客席の電気が落とされ、ステージのライトが点けば、その眩しい光りに立ちくらみがしそうだ。
ブザーが鳴って凪がステージに姿を現せば盛大な拍手が出迎えてくれた。ピアノに手をかけて礼をし、ピアノの前に座ると拍手は止み、ホールがしんと静まる。
ありがたいことに席は一応満席だ。だがこの中に純粋に演奏を楽しみにしてくれている人は何人いるのだろう?
格好だけを見に来ているお客さんだって多いはず。楽器店などの付き合いで仕方なく来ている人もいるはず。
本当はそんな人達をも魅了する演奏が出来ればいいのだが…。
手が震えそうだ。
そっと自分の手を摩ってから鍵盤に指を置いた。
弾き始めればもう何を考えなくとも手が、指が動いてくれる。
一つ一つの音を大事に…。ここから盛り上がって強く!
そんな事考えながら曲を消化していく。
今回はロマン派の作曲家で集めた選曲だ。力強い演奏が自分に似合わないのはよく知っている。ロマン派の華麗な綺麗な曲がいいと今ままでもあちこちで言われて来たから。本当は自分だって激しい曲を心ゆくまで弾いてはみたい。でも残念ながら自分でもイマイチだとわかる。
どうしてそうなんだろう…。
そんな事を考えても仕方のない事で、今は曲に集中しないと!
余計な雑念を追い払いどうにか一部の曲目を終え、立ち上がって礼をすればいつも通りの普通の拍手。
これが現実だ。
…分かっているのに…。
舞台袖に下がったところでくらりと眩暈がしてよろけた。
「高比良さん!大丈夫ですか!」
スタッフがすぐに気付いて近づいてきたのに大丈夫だ、と手を上げる。
「水を…」
どうぞとペットボトルを受け取ってそのまま一旦控え室に戻った。
大きく息を吐き出しながら水で喉を潤した。
二部はショパン。ああ、そういえばノクターンが…。三塚はこの会場のどこかにきているのだろうか?
三塚になんだ、と思われないような演奏をしなければ。
凪はこくりと喉を潤しながら薄く笑みを浮べた。
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