三塚の友人の店でのディナーコンサートが近づいて来た。リサイタルと違って時間も短いし、曲も仕上がっていた。
でも一番自分で驚いているのは精神状態だった。
とにかく落ち着いている。
いくら会場が小さいといってもいつもはもっといっぱいいっぱいになる。迷いながら練習して、してもしても足りないようで…。
「凪…野田んとこで…もうすぐなんだけど。曲練習ってしてる?」
普通のレッスンを終えてリビングに行くと三塚がいつもいる。朝早い三塚は凪よりも早くに仕事が終わり、いつも凪がレッスンを終える頃にはキッチンにいる。
「してるよ」
「俺…凪が曲練習してるの聴いてないけど?俺が聴いてるの…ハノンとかツェルニーばっかなんだけど?」
「聴かせないようにしてるから」
「なんで!?聴きたいだろ」
「いやだ」
ちゃんと弾いている所は本番のを聴いてほしくて三塚がいる時は曲の練習は避けていた。
「…俺いるから弾かないのか?……俺練習の邪魔か?」
「いいや?午前中とか弾いてるし全然平気」
むぅっと三塚が面白くない!と顔を顰めた。
「なんとなく…三塚には練習じゃなくて…ちゃんと本番のを聴いてほしいから…。毎日毎日聴いてたら飽きるだろう?」
「飽きる事なんてないです!……でも、本番のを?」
「そう。練習の方がよかったとか…思われるのは嫌だ」
「そんな事思わないと思いますけど…素人だったらそれもあるでしょうけどね…」
「僕は自分で満足と思える位弾けた試しはない。学校でもコンクールでもいつもあと一歩何かが足りなかった。それは先生達にも言われていたのだが…。自分でも分からなくて…」
「うーん…楽しい、嬉しい…じゃないの?前凪言ってたでしょ?ピアノが好きかどうか分からない、って。俺からしたら好きでしょ?と思うけど?」
「好き…」
「そ。好きかどうか分からないって凪前に言ってたけど、違うでしょ?聴くのだって好きだろ?俺が上手く弾けた時も凪は嬉しそうだ」
それは確かに嬉しい…と思う。子供達のレッスンだって上手に弾けた時なんかは嬉しいけど…。
「小さい頃から凪はお母さんの思いを背負ってて、それが圧し掛かっていたんだろうけど。もういいんじゃないのか?凪自身が選んでピアニストをしている、で。普通なろうと思ったってなれないのに」
三塚が肩を竦める。
「凪はピアノを弾きたいと思う?」
「……弾きたい?」
弾きたい…と思った事はあったか…?いつでも弾かなくちゃ、だった。
「明日から弾かなくていいよ、って言われたらどうする?」
どう…?
だってピアノはずっといつでも常に傍にあったのに。
「凪は自由なんだけど?分かってる?」
「自由…?」
「そう。弾きたくなかったら弾くのをやめればいいだけ。でもやめない。弾きたい、でしょ?聴いて欲しいでしょ?」
「そう…だろう…か…?」
「じゃあどうして野田の所で弾くんです?それこそギャラにもならない位なのに」
どうして……?
弾かなくちゃないわけでもなかった。それの為の練習も三塚を驚かせてやりたくて。三塚によかった、と言って欲しくて。いや、三塚だけじゃなく…聴いてくれる人に…。だからそれはどうして…?
凪が弾きたい、と思っているから…?聴いて欲しいと思ってるから…?だから練習もする…?
「ね?いくらお母さんに言われてたからって凪が望んだ事じゃなきゃこうして今があるわけないでしょう?俺はピアニストの演奏を多く聴いた事はないですが、凪の音にはいつも感動する。真似しようとしたって無理です。そんな特別な人がピアノ好きか分からないなんて…俺からしたらハノンとツェルニーを延々と練習してる時点でよっぽど好きなんだな、って思いますけど?俺はハノンとツェルニーの練習は面白くない」
「…ダメだろ」
「わかってます!けど面白くないの!」
三塚の言葉に凪は笑ってしまう。
「僕は面白くないと思った事ないな…」
「ほら。もうそこから違うでしょ。ホント凪は難しく考えすぎ。好きだから弾くでいいのに。俺だって音大は諦めたけど、やっぱり好きだから、それで凪んとこ来たんですから」
「…そうか」
「そう。弾きたいから弾く。好きだから弾く。それを聴いてる観客に凪が分け与えてくれるんです。…当日の演奏楽しみにしてます」
「……うん」
三塚がいるだけでも気が楽になっているのにさらに何かがすとんと肩から落ちたような気がする。
好きだから…弾きたいから…聴いて欲しいから…。そうだ。これはテストでもないし、コンクールでも成績がかかっているわけでもないんだ。
自分の音楽を出せばいいんだ…。
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