「本当に満員ですね」
「そうなんだ。値段設定も上げてるのに…」
「上げといて凪にギャラなしかよ」
「だって!料理にかけたんだもんよ!」
「別に僕は料理いただけるならそれでいいし」
こそこそと裏から店の様子を探っていた。
次々と人が店員さんによって案内される。コンサートホールよりもお客さんとの距離が近い。
でもやっぱりお店の雰囲気がいいと思う。
「凪…大丈夫?」
「ああ。平気」
「具合悪いとかない?」
「ないよ」
三塚が何回も確認するのがおかしい。そしてそんな三塚を野田さんが呆れた顔で見ていた。
「お前は別人か?三塚じゃないだろう?」
「ああ?なんで」
「いつでもわれ関せずっぽいのに…変わりすぎじゃないか?」
「凪は心配なんだ。前も倒れているから」
「あれは…食べていなかったからで…お前だって知っているだろう?」
「…そうですけど」
「倒れた?」
「そう。凪は少し前にコンサートしたんだけど、終わった直後に救急車で運ばれて入院してるから」
「救急車!?入院!?」
一緒に店の中を覗いていた野田さんが目を見開いた。
「あ!いえ!あの…病気でもなんでもなくて…」
「ただの栄養失調」
「はぁ?」
「まぁ、今回はそれはないでしょうけど。なにしろ心配は心配なんです」
「……すまない」
凪は小さく肩を竦めた。
「…まぁ、勝手に仲良くしてて。どれ、俺は料理にかかる。高比良さん、時間になったら…じゃあ、お願いしますね」
「はい」
ざわざわと夜の雰囲気が凪を緊張させていく。
「凪…演奏するの楽しんで?」
三塚が小さく凪の耳元に囁いた。その声にぞくんとしながら三塚を見た。
「俺も楽しみにしてます」
「………ん」
小さく頷くとそのまま三塚が凪の耳にキスする。
陰になっているし誰からも見られないけど…ちょっと恥かしい。
「時間だ」
「………行ってくる」
三塚が凪の顔を見て頷き、凪も頷き返した。これからもコンサートなんかの時に三塚はこうして傍にいてくれるのだろうか?凪の心が今までにない位の興奮と緊張を訴えている。でも不思議とあんなに渦巻いていた不安感がなかった。
今日ここに来てくれた人によかったと思われるような曲を弾きたい。
凪はもう一度三塚の顔を見て頷き、そしてピアノの方に向かった。
凪が姿を見せるとパラパラと拍手が沸き起こる。
凪はうっすらと笑みを浮かべ客席を見渡しそしてゆっくりと礼をしてピアノの前に座った。
膝の上に手を置き深呼吸する。
ドキドキする。緊張するのはいつもの事だけれど、いつものステージとは何かが違う。
そっと鍵盤に指を置いた。
丁寧に。綺麗に。軽やかに。情感をこめて。自分の気持ちを乗せるんだ。
小さい頃から母親にピアニストになるんだと強要されているのだと、だから自分はそれにしかなれなかったのだと思っていた。でも違うんだ…。自分で選んで今ここに座っているんだ。馬鹿だな…そんな事自分で分からないなんて。いや…分かってたんだけどそう思っちゃいけないと思い込んでいたんだ。凪も歪んでいたんだ。だからコンサート前におかしくなるのも当然だったのだろうか…?
それが解放された気分だ。
好きという気持ちが温かい。ずっと冷えていた心がふわふわと温まっている。全部気付かせてくれたのは三塚だ。
三塚は何も凪に求めずずっと凪の事ばかりを考えてくれている。
自分が三塚にしてあげられる事なんてないのに…。そんな何一つ出来ない凪が出来る事といったらピアノくらいか?
それさえも三塚に言われるまで好きとか、弾きたいなんて思った事ないと思っていた。
本当になんて馬鹿なんだろう。
全部が不器用でピアノしかない自分に三塚は無償で傍にいてくれる。
…それがこんなに凪を変えたのだろうか?
愛に飢えていたのかも…。
今は自分からも欲しいと思う。そして与えたい。でも自分にできるのはこれだけなんだ。
心をこめて…。
一つ一つの音が愛おしい。
全部思ってる事が聴こえればいいのに。見えればいいのに。こんなに自分だって大事に思うんだと、三塚に。
こんな事位しか出来ない自分でいいのか?とも思う。でももうきっと三塚がいなくなったら本当に壊れてしまうかもしれない。
口で言えないから…全部込めるんだ。
穏やかな気持ちだ…。今までにない位。
ああ…好きなんだ。弾くのが。ピアノが。
素直にそう思う事なんてなかったけれど、…そうなんだ。
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