「毎日毎日僕はピアノだけの生活だった。ええ。ピアニストになるためにね。母のいいなり人形でしたよ。その甲斐あって無事に音大も出て、……そこがあなたのおかげだったなんて…今はじめて知りましたけど…母が亡くなってからももう4年になります。生まれた息子の存在を知っててそのままだったんだ…?」
「だから洋子が消えて…」
「それでも探偵雇うとか僕が音大に行けるくらいのお金があるなら出来たでしょう?それもしなくて。いえ。僕も今更父親なんていりませんからいいんです。ただ音大をおかげさまで出られた事には感謝します。その分はお返しした方…」
「いらん。養育費だ。……急に来てこんな話…悪かったと思う。ただ、君が私の息子だという事は確かだ。いつでも力になるから頼ってきなさい。私の息子だ」
違う。父親なんかいない。
どうして望みもしない時に現れるのか。
「すまない…。私は君の存在を知って喜んだのだが…君はそうじゃなかったらしい…。コンサート間近なのにもし気持ちを乱してしまったら申し訳ない。コンサートも行く予定だ。期待しているよ」
凪の雰囲気を悟ったのか初氏が立ち上がり創英も立ち上がり、そして凪が言葉を発しないまま二人はいなくなった。
いなくなったリビングには手付かずのコーヒーだけが残っている。
それが存在を主張しているかのようで凪はそそくさとそれを片付けた。
そしてしようと思っていたピアノに練習に向かう。
何も考えるな。平静に…。
いつもの様に指を慣らしてから曲。
曲はもう仕上がっているといっていい。いいけど、やはり今日は音が乱れてしまう。こんなに心情に左右されてしまうなんてなんて弱いのだろう。
桐生 明羅から貰った曲…ピエタも弾いた。
父親のいない凪には似つかわしい曲だと思っていた。…でも凪にはどうやらいたらしい。
そりゃそうだ。
だが、どうしてそれが分かるのが今なんだ?母親もいなくなってもう久しいのに…。やっと自分の信じられる好きな相手が出来て心も充実しているのに…。
三塚の声が聞きたい…。
だが仕事中に邪魔をしちゃいけない。それでなくともはじめての事で三塚も緊張や先の事を思って余裕もないはず。別になにがあったわけじゃないんだ。ただ父の存在があったと分かっただけだ。
…それがピアニストの立花 初だったというだけ。
一体母親は何を考えていたのだろうか?自分がピアニストになりたかった、と…それは聞いた。自分がなれなかったから凪が叶えて、と。
絶対なれるから、と。
絶対、は父親がピアニストだったからか…?
でもこの世界にいればいずれ凪の名前は初氏まで聞こえたはず。
…そう、こうしてわざわざ初氏自ら来る位だ。
どういうつもりだったのだろうか…?
もうすでにいなくなっている人に問うても答えなんか出るはずない。
おかしいとは思っていたんだ。小さい頃かは分からなかったけれど計算出来るようになれば生徒の数と月謝で収入は予想できる。それなのにピアノはスタインウェイだったし、自宅持ち家だった。実家からも勘当とか言ってたのに…音大も行ってないと言ってた母がピアノのレッスン料だけで生活できるのはおかしい事だった。
いや生活は出来たかもしれないが、音大はとてもじゃないが無理だと思う。
そんな事情があったなんて…。
ああ…ピアノが乱れる!
ばん!と鍵盤を叩いた。
ダメだ…こんなんじゃ…。
どうしたら……。
ふと三塚がジュ・トゥ・ヴと言っていたのを思い出した。
今きっと仕事を頑張っているだろう…。今日は甘い匂いをさせて帰ってくるのだろうか…?きっと疲れて帰ってくるに違いない。
凪になにか出来る事ってないのだろうか…?早く帰ってきて欲しい。こんなに心が落ち着かない…。腕が、体温が欲しい…足りない…。
朝のキスを思い出す。それにわざわざコンサートも近いしと無理してご飯まで…。いてくれるだけでいいのに…。
心が段々と落ち着いてくる。ほら…こんなに三塚の存在があるだけで凪の心が全然違ってる。三塚は全然分かってないみたいだけど…。
くすりと笑みが浮かんだ。
好きなんだ。大事なんだ。…こんなに…。
〝あなたが欲しい〟
軽快なワルツ。どうしてこれがジュ・トゥ・ヴなんだろうか?
凪がもし〝あなたが欲しい〟を作曲するならきっともっとおどろおどろしい曲な気がする。
そんな事を思いながら、三塚の事を考えると心の動揺は払拭し、そしてジュ・トゥ・ヴを弾き終えた。
…三塚の聞いてない所だったら弾けるけど、やっぱり本人の前で弾くのは恥ずかしいと凪は思ってしまう。
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