どうにか動揺は三塚を思って弾いた事で一応は去り、そのまま生徒のレッスンも終えた。
いつもだったら三塚がもう帰ってきててキッチンにいる時間だが今日は帰ってきていない。メールも電話もずっとない。…きっと忙しいのだろう。
レッスン室のドアを閉め、リビングに戻ってソファに座った。
レッスン中は忘れていた父親の事を思い出す。どうして父親の存在が今になって…喜ぶ所なのだろうか?だが凪にとっては全然喜べなかった。父が立花 初というのも素直に喜べない所だ。それに創英と兄弟というのも…。
どうしてこんなに立花 創英に苦手意識を持ってしまうのだろうか?
どうにも創英に視線を向けられると蛇に睨まれているような気分になってしまう。
それにしても今のこの時期に余計な事を…。
しかし…父の浮気で出来た子の所に案内してくるか?…何を考えているのだろう?父の存在というものに動揺したけれど落ち着いてくれば創英の存在の方が何を考えているのか分からなくて怖い。
初氏は凪の存在に喜んで来た、と…言っていた。だが養育費は払っていて、存在を知っていたはずなのにいくら母親が会わせなかったとはいえ今まで知らんふり。そこはどうなんだろうと思うけれどそれでも凪に対して目には確かに慈愛はあった。ちらりと見た時、その隣で創英の嘲笑うかのような表情があったのを思い出す。兄弟、という視線ではなかった。初氏を冷めた目で見て、そして相変わらず凪を舐めるように見ていた。
あの公開レッスンに行かなければよかった…。いや、三塚の所のお菓子を持っていかなければよかった。
三塚の所のお菓子を持っていってそこからどうやら凪の家も探り当てたらしい。確かに高比良ピアノ教室と看板も掲げているのでそれは簡単な事だったはず。だが、わざわざそんな事をする事自体がなぜ…。
一人で色々考えてぞっとしてると携帯がメールの着信を告げた。見れば三塚からだった。
ご飯食べたか、とか後もう少しで帰れるとか、帰る時にまたメールすると書かれていた。
一人で三塚の用意していってくれたものを食べるのも寂しいが折角凪の事を思って作ってくれたんだ。食べないと。
今から食べる。三塚も頑張って、とメールを返した。本当は早く帰って来て、とも入れたかったけどそこは我慢する。
「…食べよ」
ダイニングに三塚が用意してくれたご飯を並べてそれを口に運んだ。
うん…大丈夫気持ち悪くならない。
ほっと安心する。コンサート前というだけでもいつもだったらおかしくなっている時期なのに、それにプラス今日の事もあって吐き気がするかとも思ったが…。
…でもまだ大丈夫らしい。三塚の存在が凪を支えている。
ずっと一人でなんとも思ってなかったのにこんなに一人が寂しいと思うなんて。たった何ヶ月しか経っていないのに…。
そっと凪は指輪を撫で、右手で包んだ。
そうだ、もう一人じゃないんだ…。
ちゃんとした結婚が出来る訳でも子供が出来る訳でもない。それでもパートナーとして一緒にいることを選んだのだ。
やっぱり早く帰って来て欲しいな、と思ってしまう。抱きついて、抱き返してくれる腕が欲しい。
…ジュ・トゥ・ヴを弾いてしまった自分を思い出し一人で照れてしまうと今度はそんな自分がおかしくなって笑ってしまった。
「早く帰って来い」
笑いを治めたがやはりどこか心が寂しい。家が広く感じてしまう。キッチンに立つ三塚が、向いでくっと笑っている三塚の存在が欲しくて。
どうにもジュ・トゥ・ヴが頭から離れない。
難しい曲だ。楽譜はそんな難しくはないのに…。弾き方が…。
ちょっと気晴らしにしばらく練習の合間に弾いてみようかな、とくすりと笑ってしまう。聴きたいと言った三塚には内緒だ。
だって…お前が欲しい、と思いながら弾いてるなんて恥かしいに決まってる。
でも…そのうちどこかで…弾ければいいかな…。二人きりで弾くのは恥かしいがステージでだったら…。いや、かえってステージで告白しているようなものなのか…?でも狭い空間で三塚の前だけのほうが絶対に恥かしい。それにステージ上で凪が誰を思って弾いてるかなんて誰も分からないのだから。
…そうしよう。そのうちアンコールでどこかで弾こう。
やっぱり自分が弾くなら軽快にはならなくてねっとりになってしまうけど…。それが自分なのだから仕方ない。
そんな事を一人で考えていれば楽しくなってくる。三塚は驚くだろうか?凪の思いが伝わるように弾きたい。
やっぱり練習しとこう、とくすりと凪は笑みを浮べた。
たくさんのポチいつもありがとうございますm(__)m
にほんブログ村小説(BL) ブログランキングへにほんブログ村 BL小説