「早いねぇ…凪くんは」
九時過ぎにゆっくりと初氏が起き出してきた。
「創英は行った?」
「はい」
リビングのソファに座り新聞を手にゆったりと座っている。やはり父というよりもピアニストの立花 初で凪はその書生にでもなった気分だ。
「今日はレッスンはいい?」
「いえ。午後からでも……あの…出来ればお願いしたい…です」
「いいよ」
ニコニコ顔で初氏が答えてくれる。三塚と会えるのはお昼休み位らしいので、やはりそこは帰って来てからでも練習はしたい。
「…コンサートまでの間じゃなくて…その後もここに住まないかい?なんならその指輪のお相手も一緒に」
「いえ!」
凪は頭を横に振った。
…というかコンサートまで?そうなのか?
「ずうずうしく来てしまって僕の方こそご迷惑を」
「ご迷惑じゃあないでしょう。君は私の息子なんだから。……今まで知らない振りをしてきたけどね。創英が君の事を話してくれなかったら気付きもしなかったよ!創英が持って帰ってきたお菓子が美味しかったから誰に貰ったのか聞いたら、高比良って…。驚いた」
……やっぱり全部あのお菓子からか…。美味しいのは分かるけど。いや…いずれにしてもいつかはピアニストで名を連ねていれば分かられた事かもしれない。気付きもしなかったかもしれないが。
今何を言っても遅いことだ。
「いずれはその指輪の相手と暮らすのかな?」
「…はい」
「そうか…」
なんか…出て行ってもいい雰囲気じゃないか。なぜ創英は…?
「創英も君の事を気に入っているようだし…よかった」
「………は?……あ、いえ、失礼しました」
つい素っ頓狂な声と表情が出てしまった。
「凪くんの事創英は気に入ってるよ?歪んでるけど」
くすっと初氏が笑った。…あ、創英が歪んでるのは分かってるんだ?
「……あれも…可哀相な子なんだ…」
……あれ?
初氏が憐憫の表情を浮べながら薄く微笑んだのを見て凪は頭を傾げた。
…もしかして…初氏は知っているんじゃ…?
凪が計るように初氏を見るとその視線に気付いたのか初氏が苦笑を漏らす。
…無邪気な人だと思っていたけれど…それだけじゃない?そういわれると、あんなに深い音を出す人が…一流でずっといられる人が無邪気だけで何も知らないで音を紡ぎだすなんて…出来ないんじゃないのか?
凪だって苦悩があって…そしてそれから解放された今やっとピアニストの雛からひよこになった位。それがこの人はずっとトップの座に堂々と君臨しているのだから…。
創英は初氏は知らないと言っていたけれど…?
創英は分かっていないのだろうか?
狭い東京で広い邸宅なんてさすがだ、と凪は出てきた立花の家を振り返りながら見た。どうにも別世界な感じがしてしまう。
初氏も創英もまるで時間が止まっているような感じに思えてしまう。ずっと同じ場所に踏みとどまっているように。
親子なのに他人。他人なのに親子。
どうにも凪を交えた今がさらに歪みを増している気がしてならない。凪はその中に嵌まる気は毛頭ない。自分が一緒にいるべき人はもういるんだ。
凪の我儘に何も言わずに付き合ってくれる人。信じてくれる人。何でも聞いてくれて助けてくれる人だ。
三塚のお昼休みが何時からになるか分からず、早めに凪は立花の家を出た。勿論打ち合わせなんかなくて目的は三塚に会うためだけだ。
三塚のカフェの近くに着いて小さな公園のベンチに座った。
本当は店の中を覗き込みたかったけれど三塚の姿を見たら抑えようがなくなりそうでそれはやめた。
《店の裏の小さな公園にいる》
メールを送るが返信はない。忙しいのだろう。
天気はどんよりとしてあまりよくはないが、かえって公園に人影はなくよかった、と思ってしまう。ここに三塚が姿を見せたら取り乱してしまいそうだったから…。
ベンチで目を瞑り上を向いた。
頭の中でピアノを鳴らす。
三塚に会えるというどきどきと高揚するこの気持ちを抑えるにはピアノだけだ。今の凪の気持ちに合う曲はなんだろう?ピエタもきっと今弾いたらきっと早くて忙しい曲になってしまいそうだと口元に笑みを浮べた。
どれ位待ったのだろう?
コンサートで弾く曲の半分を頭の中でさらったという事は一時間位か?
「凪っ!」
はっと凪は目を見開いて聞こえた声の方に顔を向けた。いくらか公園の木々の葉が黄色く色づいている中、三塚が慌てたように額に汗を浮かべて走ってくるのが見えた。
目がぐっと潤んでくる。そして頭の中には何故かハレルヤが流れ出した。
それが自分でもおかしくて凪は泣き笑いの表情を浮かべてしまった。
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