長い長い時間が過ぎた、と凪は思ったが、実際はほんの数秒の事なのだろう。
パン、パン、と一つの拍手が鳴りだしたと思ったら一気に拍手が会場内を包んでいった。
それに安心してピアノから立ち上がり礼をするとブラヴォー!の声がかかった。
今更ながら心臓の鼓動が大きく鳴ってくる。
そして長い礼から顔を上げればスタンディングオベーションまで!
感極まって泣きそうになりながら何度も頭を下げた。
そして鳴り止まない拍手の中震えそうな足で舞台袖まで戻る。
「凪っ!」
舞台袖についた途端に崩れそうになった凪を三塚が受け止めてくれる。
「どうしました!?大丈夫!?」
「ああ…ちょっと震えが来ただけだ」
他のスタッフも具合でも悪くしたのかと慌てた様子を見せたのに凪は泣きそうに笑って大丈夫、と答える。
「…凪?まだ終わってないでしょ?」
「………ああ」
三塚が凪をしっかりと立たせて背中を支え、耳に囁く。
そして凪の耳にもアンコールの嵐だ。
「………出る!」
「いってらっしゃい」
三塚が頷いて背中をとんと押してくれた。
…このアンコールの曲がもしかしたら凪の中では一番の難曲かもしれない。心を決めて再び熱いステージに向かった。
凪が姿を見せると再び拍手が大きく湧く。そしてアナウンスを入れてもらった。
〝アンコールの曲には桐生 明羅氏より寄贈いただきました曲《ピエタ》を演奏させていただきます〟
アナウンスにざわりと会場がざわついた。
勿論そうだろうと凪も納得しながらピアノの前に座る。
初見で弾いたときに三塚が凪だ、といった曲だ。
パイプオルガンが似合いそうなバロックの流れを汲んだ音譜の並び。単純な音の追いかけっこからやがて複雑な音へ。
スケールは軽やかに。だけどその中に常にまるで凪の苦しみが入るようにマイナーコードが入っている。そう…いつでも孤独で寂しいと思っていたんだ。
綺麗で明るい曲。なのに物寂しい。きらきらと泉に光が反射するような音の並び。なのに哀愁が漂うのはどうしてなのだろう?
いや、別に桐生 明羅は凪を思って曲を作ったというわけではないだろうが、ただ凪の本質はあの時の始めて自分を消化したときの凪の演奏を聴いて悟られたのだろう。
…怖い人だ。
でもそんな天才に曲をもらえるなんて思ってもみなかった。これにも感謝だ。自分が紡ぎ出した音で波紋が波打っていくように広がっていくようだ。
消えるように最後の一音を弾き終え、そして手を鍵盤から離し、そっと膝に置く。
今の凪になっていたはず。自分では満足だが果たして桐生 明羅は気に入ってくれるだろうか…?一抹の不安を残し椅子から立ち上がるとまた怒涛の拍手。そして舞台袖に引っ込まないうちからアンコールの声がまた聞こえ始め大きな合唱になっていった。
どうしようと舞台袖にちらと視線を向けた。アンコール曲はこれしか用意してなかったんだけど…。
あ…!
凪は舞台袖から見ていた三塚と視線を合わせ、笑みを浮かべてもう一度椅子に座った。
するとあんなにアンコールを求めていた声と拍手が急速に静まり期待の籠もった空気を感じる中鍵盤に指を置いた。
ジュ・トゥ・ヴだ。
公衆の面前で告白してやる。聞いている聴衆にはきっと分からないだろうけど…。
お前が欲しい、と。
こんなに大事で欲しくて…こんな風にお前を思っている、と。三塚の前だけで弾くのは恥ずかしいが…。
離れている間にもさらに想いが強くなった。こんなにも…。聴いているか?これはお前の為だけの曲。聴きたいと言ってたから…。
本当はもうさっさと帰りたいくらいに《おまえが欲しい》なんだ。
自分で弾いてて嫌になる位ねっとりになってしまう。欲求不満の塊みたいじゃないか?でも焦っている。だってもう投げ出して心は帰りたがっているんだ。早く二人きりになりたい。思い切り抱きついてキスして…とか思っちゃいけないんだろうけど。
いけないけど思ってしまうんだから仕方ない。だって欲しいと思っているんだから。
弾き終え、鍵盤から手を離すと拍手!ステージから何度も拍手に応え、礼を繰り返すと曲のタイトルを知っているだろう何人もの女性客から熱を帯びた視線が向けられた。
…今のは…凪はたった一人にだけ向けた曲だったんだけど…。
会場ににこやかな笑みを見せ、凪は颯爽と舞台袖に戻った。
すかさず本日はお越しいただき、とアナウンスが入ってやっと凪は安心した。
終わったんだ…。
「凪」
舞台袖で困ったようにして三塚が立っていた。
「あの曲…」
その仄かに顔を赤らめて照れている三塚に凪はただ嫣然とした笑みを浮かべた。
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