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トロイメライ 150

 コンサートから数ヵ月後…正式に引越しの日。

 三塚は東京で仕事が主流になって仕事がある時はほとんど凪の家に来られなくなった。
 大概がプロデュースの仕事というものは期間が決まっているもので、時間が迫ってる忙しい仕事だ。その点凪は朝遅くていいし、終わりの時間も決まっていて凪が三塚の借りた所から自宅に通うという変な形態になっていた。

 CDが出て、追加公演が決まって、そしてさらに他のコンサートも決まって、スケジュールが埋まるようになると生徒のレッスンは正直きつくなってきた。
 それで生徒を途中で投げ出すような形になったのは申し訳ないけれど、生徒は楽器店に紹介された別の講師に任せる事にして凪も住まいを東京にする事にした。
 
 コンサートのオファーが大量に来たのは初氏と創英、桐生 明羅と二階堂怜が来ていて、しかもインタビュー記事まで小さく載っていたからだ。
 凪は詳しくなかったが、前に三塚が言っていた通り桐生 明羅は演奏に対して辛辣な批評をするらしい。そのために表の記事に言葉が出て来ないらしいのだが…それが凪には認めて曲まで、という所にスポンザーがついたりと事が大きくなっていってしまった。

 地方の二流ピアニストだったはずなのに…。まるで一流みたいだ、と初氏のレッスンの時に言ったら一流に決まってるでしょ、と当然のように返されて絶句してしまった。

 創英は相変わらず苦手。でももう何も言っては来ない。どう思っていいるのかは凪にも分かりはしないが、ピアニストとしてなら認めてくれているのはわかる。でもそれが凪自身をなのか、初氏の血が入っているからなのかは謎だが…。でも演じているのは凪なのだからそれでいい、ともう割り切る事が出来ていた。
 いや、それも三塚が傍にいてくれるからそう思えるんだ…きっと。

 「ピアノ…一台でいいの?」
 「いいよ」
 すでにピアノはもう新しい住まいに運ばれていた。
 新しい住まいは防音の施されたマンションで、ピアノも置くし結構広い。三塚と一緒に悩みながら、決めたけど、セキュリティもちゃんとした所とか、凪は気にしないような所を三塚が気にしたり…。でも気に入った物件を見つけてからは話もあっという間に纏まり、トントンと物事が運んだ。

 頭金も折半。全部折半。と三塚が言い張り、防音などで金額が高くなるのは自分の所為なのに、と凪は思ったけれど、それは三塚は嫌らしい。確かに…気持ちも分かるけど、と思いつつ子供みたいに三塚が言い張り仕方なくそうなった。
 問題も何もなく、荷物もほとんど運び終わって最後が凪だった。
 三塚の小さい車に乗って何年か住んだ家を後にする。その家は売りに出す予定だ。

 「家…残しておかなくていいの?」
 「いいよ。僕が生まれ育ったというわけでもないから。レッスンの事も僕は母の代わりだったんだ。その役目はもう終わった…。これからは自分の為に生きていくんだ」
 そっと三塚が凪の肩を抱き寄せてくれる。

 「車…新しいのにした方いいかなぁ~?凪にこの車合わないでしょう」
 「あ!僕も免許取ろうと思ってたんだ!忙しくてすっかり忘れてた!」
 「いいですよ、運転手は俺で」
 「え!だって…」
 「……俺は凪運転の車には絶対乗りませんから」

 「どうして!」
 「………怖いですもん」
 失礼なやつだな!
 「……車このままでいい。狭くていいんだ。だって距離が近いだろう?創英の車乗ると手なんか届かない」
 「…それは大袈裟ですけど、まぁ…そうともいえますね」
 「うん…」

 車で初めて迎えに来てくれた日の事を思い出す。あの日がなかったら今のこういう日はなかったのかもしれない。
 「車の運転はダメでも、じゃあ少し位料理位は覚えようかな…」
 「それもダメ。危ない。絶対に指切ります」
 「…なんで断言するんだよ」
 「します」

 「だって三塚が遅いときとか…僕はほとんど家から出なくていいようになるし」
 「じゃあ猫でも飼いましょうか?」
 「は?なんで猫?」 
 「凪の仕事は猫の世話とか。ああ、いや…ダメだな…」
 「それもダメ?なんで?」

 「だって凪が猫に夢中になられたら困ります」
 ぷっとふき出す。
 「猫にまで嫉妬?」
 「ええ。勿論」
 笑って凪が言った言葉に真顔で三塚が頷いて言葉を失ってしまう。

 「じゃあ反対に考えてみて?俺が猫拾って来ました。家帰って来ても猫に夢中です」
 「………いやだな」
 「でしょ?俺がいない日でも凪にべったりできるなんてそんなの許せるはずないでしょう」
 言い切る三塚をちらっと眺める。

 「凪は家で大人しくしててください。外もあんまり本当は出て欲しくない位。老若男女問わず凪のファンだらけですからね」
 「そんな事はない。…三塚だって!この間したプロデュースのお店の女の子に誘われてたじゃないか」
 「ありましたっけ?そんな事?」
 「あった!」
 「…覚えてないな…?いつ?」
 「僕が行った時!」

 「ん?ああ…何言ってるんですか、あれは凪目当てですけど?ホント自分の事は全然分かってないんだから…」
 はぁ、と三塚が呆れたように凪を見て溜息を吐く。
 「とにかく俺の傍に居て下さい。じゃないと心配で心配で」
 「だから…いるだろ…やっと一緒にまた住める…」
 「…そうですね」
 信号で止まった車のハンドルを放すと三塚が素早くキスしてきた。

 「だ、から!見られたらどうする!?」
 「どうもしませんよ?これからもずっと一緒いてください」
 「……ん」
 プロポーズめいた三塚の笑いながらの言葉に照れながら頷けばさ、早く帰りましょう!と三塚が青になった信号に車を急発進させた。 

 そっと嵌められた左手の指輪に手を触れ、ハンドルを握る三塚の指にも視線を向け、そして凪は前を向いた。
 今までは過去に囚われていたのかもしれない。でもこれからは自身と傍らに立って守ってくれようとしている三塚と前を向いて行くんだ。
 どこまで行けるのかなんて未来は分からない。
 けれど、どこかに道は繋がっている。平坦じゃないかもしれない。茨や障害があるかもしれない。でも回り道でもいいから一緒に歩いていきたいんだ。
 
 きゅっと凪が唇を引き締め決意を新たにさせると三塚がちらっと凪を見てくすりと柔らかな笑みを浮べた。
 

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