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追憶の彼方には戻らない 31

 なるべく早く荷物をまとめて階下に降りてリビングに顔を出した。
 「準備出来ました」
 「じゃあ行こうか。ではお母さん、唯くんを預からせていただきますね」
 唯はソファに座る気もなく立ったままで言うと航さんが立ち上がりながらそう言って唯の持っていた荷物を取り上げ持ってくれる。

 「よろしくお願い致します」
 玄関先で母親が航さんに頭を下げていた。
 「唯くんのお父さんにもよろしくお伝え下さい。もし何か不安や聞きたい事でもありましたらいつでも携帯の方にかけてください」
 航さんは母親にも口調を柔らかくして言っていたけど唯は母親の方を見なかった。

 「唯くん」
 航さんが背中に手を副えて声をかけてくれたけど、母親に挨拶しなさいという事だろう。
 「…行ってきます」
 「気をつけてね」
 母親の顔は見られなかった。顔を俯けたまま挨拶して航さんの腕にしがみ付き、家を後にした。

 「あ…航さんは前でいいです」
 唯がくっ付いていたからか航さんがまた後部座席に乗ろうとしたので手を離した。
 「いいよ別に。今は唯くんの護衛だからね」
 唯を座席に押し込み隣に航さんが隣に乗ってきた。いいのかな…と思いつつも隣に座った航さんの袖を指先で掴む。
 母親が外まで出てきて頭を下げながら挨拶している横を車が発車した。

 少しすると航さんが唯の掴んでいた袖を外された。
 触るな、という事だろうかと唯ははっとして手を引っ込めようとしたら航さんが唯の肩を抱き寄せて来た。
 「あ、あ、あ…の…?」
 航さんを上目遣いで見上げるとちょっとだけ難しそうな顔をして唯を見ていて、慌てて唯は顔を伏せた。
 だって…なんか恥ずかしい…。

 「…いつもお母さんはあんな感じか?」
 「え?…う、うん。そう…」
 特に何も変わらないはず。顔は見ていないけど…。
 「…早く大学生になりたいんだ…。そうしたら家出られるでしょ?お母さんもお父さんも僕がいない方が安心出来るだろうし」

 「唯。それは違う」
 航さんが厳しい声を出した。
 「お母さんは今だって唯を心配していた」
 「……僕、顔…見てないから…」
 航さんは唯が母親の顔を見ていないのを知っててそう言ってくれたんだ。それは分かるし、本当に心配もしてくれたのかもしれないけれど、唯の頭には小さい頃に言われた事が頭に残ってしまっているんだ。

 親に気味悪いとか、どうしてこんな子に、とかそんなの思われたら…。

 唯は目が潤んできた。
 「……怖かった…ずっと…僕こんなだったから…捨てられちゃうかも…って」
 小さく唯が運転する小木さんに聞こえないようにと言ったけれど聞こえてるかな、とも思う。でも小木さんは何も言わないで黙って運転していて、航さんはぐっと唯の肩を掴んでいた手に力を入れた。

 航さんの温かい体温が嬉しいけど、自分と違う大人で胸の広い航さんに凭れる様にしているとドキドキしてしまう。
 でも安心する。航さんからは何も聞こえてこないから…。
 何を思っているのか航さんからは聞こえてこないんだ。それでも航さんは唯を否定するような事は思っていないはず。唯の事を疎んじていたらこんな事してくれないと思うから、それは信じられた。

 「小木、俺のマンションに寄ってくれ。俺も着替えとか持っていかないとな」
 「了解です」
 航さんのマンション!どこなんだろう?
 唯の事から会話が離れた事にほっとしてしまった。そして航さんのプライヴェートがちょっと見えるらしいのを期待してしまう。

 「唯…この事件が終わったらどこか遊びに行こうか?」
 「え?」
 航さんが唯の耳元に低い声で囁いた。
 「連れて行ってやる。人が多い所でもいい。俺が唯に誰も触れられないようにしとけば平気だろう?」
 「…嬉しいけど…」

 物心ついてから出かけた記憶なんてない。小さい頃は親がいつも唯の事が知られないようにと出なかったし、唯が大きくなってからは自分から引きこもっていたのだ。
 だからといって航さんが親でもないのにそんな事引き受けてくれなくともいいと思う。
 唯は小さく首を横に振った。

 航さんはやっぱり唯に同情しているんだ、と思う。可哀相な子だと思っているんだ。
 じゃあ自分は航さんをどう思っているんだろう?
 特別ではある。なんといっても航さんに触っても声が流れてくる事がないのだから。
 それだけ…なのだろうか?
 自分でも分からない。
 
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