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追憶の彼方には戻らない 44

 好きな人だから航さんの声が聞こえない…なんて。
 ベッドの中に入って光流に言われた事を考えた。
 …発想の転換だ。

 それだけで唯の気持ちが楽になっていた。
 本当の所は唯にも分からないし、誰にも分かるはずがないけど、でも光流の言葉一つで唯の心が落ち着いた。

 すごいな…と唯は顔が笑ってしまう。それに光流は本当に普通に唯に接してくれる。唯の方が気を遣う位だ。
 だって…初めてのちゃんとした友達だ。唯の事を知っても変わらずにいてくれた…そんな存在が初めてで、唯だって大事にしたいんだ。

 そして航さんと光流との存在の意味が唯の中でやっぱり違うと思う。
 向いの部屋のドアの開く音が聞こえた。航さんがお風呂から上がってきたらしい。
 航さんの腕の中を思い出すとドキドキするしちょっと苦しい。
 こんな気持ちは初めてだ。

 キスにセックス…なんて光流にさらりと言われた事を思い出すだけで唯は顔がかっと熱くなる。
 その相手を航さんで考えている時点でやっぱり航さんが好きなんだと思う。光流を相手になんて考えられないのに…。
 ぼそぼそと向いの部屋から航さんが話しているらしい声が微かに聞こえてくる。電話でもしているのだろうか…?

 自分の家でもないのに安心できるなんておかしいと思う。でも航さんがすぐ傍にいるんだと思えば不思議と安心してしまうんだ。
 「…好き…なんだ…」
 自分で言葉に出してかぁっと顔を熱くさせた。

 犯人の事があるのになんて悠長なんだろう…と思いながらももう想いは確信に変わっていた。
 だってあんなにドキドキして、傍にいたくて、言葉や態度が気になって、安心して、触れたくて、触れて欲しくて…こんな気持ち誰にもなったことがない。
 唯がこんな風に思っていても航さんの相手にはなれないだろうけれど…。

 航さんにとっては子供にしか見えないだろう事は自分でよく分かっている。実際、光流にも言われたけど年は15も違うんだし…それでも傍にいられるなら…それでいいや…と唯はベッドの中で目を閉じた。
 微かに聞こえる航さんの声が子守唄代わりだ。
 航さんの腕と体温を思い出すと嬉しくて恥かしくて…そんな事を思いながら眠られる事が幸せかもしれない。
 


 はっと唯が目覚め携帯で時間を確認すると朝7時を過ぎた所だった。
 起きるのが早いだろうか、と思いつつも目覚めてしまうともう眠気はやって来なく、起き上がると着替えを済ませた。
 休みの日なのにあまり早く起きるのも…と思ったけれど、ドアをそっと開けてみたら階下から物音が聞こえてきて、光流のお母さんがすでに起きてるらしいとほっとしながら階段を下りていった。

 「おはようございます」
 「唯くん、早い!もっと寝ててもいいのに~」
 「目覚めちゃったので…あっ!おはようございます!」
 ダイニングにはすでに航さんの姿。プラス光流のお父さんもいた。

 「おはよう」
 「おはよう。唯くん不自由はないかい?」
 「あ、はい…。あの…すっかりお世話になってます」
 ちょこんと唯は光流のお父さんに頭を下げた。

 「遠慮しなくていいよ」
 「唯くんすごくいい子よ?」
 光流のお母さんがお父さんに向かってにこにこしながらそんな風に言ってくれた。
 「うちのドラ息子は…」
 「起きてくるわけないでしょ」
 航さんもくっくっと笑っている。航さんの姿をかっこいいなぁと思いながらぼうっとして見惚れてからはっと自分を取り戻す。

 「……あの、洗面所お借りします」
 「どうぞ~」
 光流のお母さんの声。
 朝から光流の家は明るい陽射しが入るダイニングにお母さんの明るい感じが唯の心も照らしてくれているように思える。

 自分の家の朝は薄暗い。朝に限らずずっとそうなんだ。会話もほとんどないし日当たりもよくもない。そういう問題じゃないのは分かっているけれど…。
 唯は洗面所で自分の顔を見て目も腫れてないとほっとした。

 朝からほのぼのしている武川家の雰囲気に唯は苦笑してしまう。どうして自分の家にいるよりもこんなに心が軽いのだろう?勿論、光流のお母さんは唯の事情を知らないだろうけれど、光流も航さんも、光流のお父さんも唯の事を知っている上でも普通にしてくれているから、だと分かっている。

 自分の親だからこそ唯も親も構えてしまうのだと分かっている。それがぎくしゃくの元だけど、もう今更どうしようもない事だ。
 お互いずっとそうしてきてきっともう変わる事はないだろう。唯の変な力がなくならない限り…。
 
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