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追憶の彼方には戻らない 64

 リビングのソファに航さんと並んでコーヒーをご馳走になった。
 ブラック派の航さんの部屋にミルクと砂糖はなくて冷蔵庫にも何も入っていなかったらしくて唯もブラックだ。
 「ごめん」
 航さんが苦笑しながら謝っている。

 「ううん。別に飲めないわけじゃないから大丈夫」
 いつも唯がミルクとシュガーを入れているのは光流の家で確認済みだ。
 「…航さん…ここで生活してるの…?」
 「一応。まぁ、ほとんど仕事が忙しくて面倒だと署に寝泊りが多かったからな…生活ってほどはしていないか…。これからはちゃんと帰ってくる」

 「…ええと…僕の為に無理するんだったら…それはちょっと…」
 航さんの負担になりたいわけではない。
 「無理、じゃないな。むしろいてくれた方が無理しないかもな。独り身で自由だから根詰めて仕事に没頭しちまうから。唯がいてくれた方がストッパーになるんじゃないか?」

 人事のように航さんが言いながらコーヒーを啜った。
 そういえば小木さんが休みを取らせてって言ってたな、と思い出す。
 「今日の休みって…どれ位ぶり…?」
 「んん……二ヶ月…?三ヶ月は経ってないか…」
 唯は絶句して口をぽかんと開けた。

 なるほど。小木さんの言い分に納得してしまった。
 「僕いたら…航さんちゃんと休む…?」
 「そうだな。なるべく唯を一人にもしておきたくないからちゃんと帰ってもくるし休むだろうな」
 それならかえって唯がいたほうが航さんの為にもいいのかもしれない、と自分の中に大義名分を作ってしまう。

 航さんとは隣り合わせに座っているけれどそれでも足りないな…と思ってしまうのは我が儘だ。
 「唯」
 航さんがコーヒーをテーブルに置くと唯の体をひょいと抱き上げて航さんの膝の上に向かい合わせに乗せられた。
 「あ、の…」

 「一緒に住むとこういう事やもっとあれこれイタズラしちゃうけど?」
 「………あ、の…」
 航さんが唯の後ろ頭に手をかけてぐいと引き寄せると軽くキスしてきた。
 「こういう事とか」
 「…いい、です」
 むしろして欲しい。

 「………いいんだ?」
 航さんがくっと笑いを漏らした。
 「光流がなんか言ってたけど。知らなかったって?」
 ぐわっと唯が顔が真っ赤になったのが自分でも分かった。
 「分からない事があったら今度は光流じゃなくて俺に聞くように」

 「うん…はい」
 「………素直だなぁ」
 くすくすと航さんが笑っている。
 「唯」
 航さんの声がちょっと掠れた感じで唯の名前を呼んだ。その航さんの唇が半開きになっていて誘われるように唯は顔を近づけた。

 軽く合わせて離れようとしたけれど航さんの手が唯の頭を押さえて離れない。
 ただ重なるだけの唇にどうしたらいいのだろうと唯はドキドキしながら悩んでしまう。
 そして重なっている唇にそろりと舌先を突き出したら航さんの体がびくんとしてその舌を捕まえられてしまった。
 大きく食べられそうな勢いで航さんの口が唯の唇を包み、唯の突き出した舌が吸われて絡められている。

 「ふ、ぅ…ん…っ」
 息も出来ない位激しく貪られる。そして体が段々と仰け反っていったら航さんの手によって反転させられてソファにどさりと横にさせられた。
 その間も航さんの唇は重なったままだ。
 「ぁ……んっ」

 鼻から自分でも聞いた事のないような甘さを含んだ声が漏れた。それが恥ずかしい。恥ずかしいのに航さんのキスはますます激しくなっていって唯は窒息しそうだ。
 どんどんと唯の体に覆いかぶさっていた航さんの胸を叩いた。
 「ん?」
 航さんが唯の抗議に唇を離すと唯は真っ赤な顔で盛大に息を吐き、吸い込んだ。

 「く、るしいっ」
 「……ごめん」
 くっくっと航さんが笑っている。
 「嫌じゃない…?」
 今度は軽く航さんがキスを繰り返してくれる。
 「やじゃない。嫌なんて思わないけど…僕…初めてなのに…」

 「初めてって…。だって唯の方から舌突き出してきたからいいのかなって思ったんだけどな」
 「ぼ、ぼくからっ!?」
 「でしょ。慣れてるんだ?と思ったけど…?」
 「慣れてないっ」
 かぁっと顔から火が出そうだ。

 「初めてって…ああそうだったな…一昨日のがファーストキスだ」
 ソファで航さんが唯の上に覆いかぶさったまま唯は小さく頷いた。
 「どうせ…全部初めてだもん。…光流と違って」
 拗ねたように言ってしまうと航さんがくすっと笑う。

 「光流と比べる必要はないよ。俺は唯の初めてで嬉しいと思うしね」
 航さんが嬉しいと思ってくれるならいいけど余裕が欲しい。何もかも初めてな唯はどうしたらいいか全然分からないのだから。
 
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