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追憶の彼方には戻らない 86

 「唯?ホントにどうした?」
 「え?あ、ううん?なんでもないよ?」
 ぱっと顔を上げて笑顔を浮べたつもりだったけど自分でもうまく笑えてないと自覚した。
 「唯?…何を無理してる?」
 してない、と唯は俯いて頭を横に振った。

 無理じゃなくて自信がないんだ。
 亜矢加さんは大人で綺麗で女性で唯は子供で男だ。だから航さんだってそんな気にならないのかもしれない。
 唯にとっての特別な存在だから航さんは傍にいてくれるんじゃ…?とかわけ分からない事まで思ってしまう。
 勿論違う、とは分かってる。好きといってくれるのがボランティアであるはずはない。

 「唯」
 航さんの呼ばれて顔を上げると航さんは唯を見てはぁと小さく溜息を吐き出した。
 それに唯は泣きたい気持ちになった。

 呆れたのだろうか…?嫌になった?ぐじぐじと一人で考えなくともいい事をぐだぐだしているのは分かっている。でもずっと亜矢加さんの事が引っかかっているんだ。今は航さんも唯の事を大事に思ってくれているのは分かるけど、亜矢加さんがまた航さんにもう一度付き合って、と言うかもしれない。そうしたら航さんはやっぱり亜矢加さんの方がいいって思うかもしれない。
 だって唯は大人じゃないし女の子じゃないし…。

 「ちょっと…テストで頑張りすぎたのかも…。光流に詰め込まれたから…」
 言い訳がましく唯は顔を俯けたまま呟いてそそくさとご飯を食べ終えた。
 「……今日は早く寝なさい」
 顔を上げられないままで唯は頷いた。今顔を上げて航さんを見たら泣き出しそうだ。

 亜矢加さんが触らなければあんな声聞こえなかったのに。だから人に触れられるのは嫌なんだ。
 「…お風呂行ってくるね」
 片付けを終わらせて航さんの顔も見ないでそそくさと風呂場に行った。

 いつも航さんは後からお風呂に行くので唯はさっさと先に入る事にしていた。唯が行かないと航さんが行かないから…。
 沈んだ気持ちのままで湯船に入って溜息を吐き出した。
 「…苦しいな…」
 こんな気持ちも初めてだ。

 何でもないって分かっているのに穿った事を考えてしまう心が抑えられないなんて。
 こんなんじゃ航さんに嫌がられるのも時間の問題なんじゃ…?
 そんな事まで思ってしまう。
 「…凹んでる…」

 明日は出かけようと言ってくれたのに…こんな気持ちで明日は陽気になれるだろうか?出かけようと言ってくれたのは嬉しいけど、楽しみだけど、小さな棘は飲み込まれないでずっと引っかかったままなんだ。
 湯船に浸かったままぼうっとしてたらのぼせそうになってきて本当に頭もぼうっとしてきたのに慌てて唯は風呂から上がった。
 どれ位ぼうっとしてたのか少しふらふらしながらキッチンに行って水を飲んだ。

 「航さんは…お風呂は?」
 「後で入る。唯、ちょっとおいで」
 ソファに座ってテレビを見ていた航さんに呼ばれて唯が隣に座ると航さんがテレビを消した。
 でも航さんの顔を見る事が出来なくて顔は俯けたままだ。

 「顔が赤いな…。風呂が長かったからのぼせたか?」
 「…ちょっとだけだから大丈夫」
 航さんが唯の頬に触れ顔を覗きこんできたけど、航さんの顔を見ないようにぎゅっと目を閉じた。目を合わせたら余計な事を言ってしまいそうだ。

 「唯、何を聞いた?」
 「え?」
 航さんの問いに思わず目を開けてしまうと目の前には航さんの顔があって視線がぶつかってしまった。
 「…何の事?」
 「今光流に電話して聞いた。亜矢加と会った時に亜矢加がべたべたと唯に触ってたって。で?」
 で?と聞かれても困る、と唯は首を横に振った。

 「唯が言ってくれないと分からない」
 航さんが眉間に皺を寄せて難しい表情になった。
 「………」
 それでも唯は首を横に振った。人の心の中の事を言うべきじゃない。
 「…言わない」
 「言いなさい」
 航さんがきつい口調でそう言った。

 「唯が人の気持ちを読んでべらべらと話す様な子じゃないのは分かっている。でも何か聞こえてそれを唯は気にしている。そうだろう?」
 肯定も否定も出来なくて唯は顔を背けて俯いた。
 「唯…言って?誰に何を言うんでもないから」
 でも…言ったら唯の独占欲が航さんにもばれてしまう。そんなの引くだけなのに…。
 ふるふると唯は目を瞑ったまま首を横に振った。

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