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追憶の彼方には戻らない 98

 航さんが買い物に行って来て夜ご飯も航さんが作ってくれた。
 基本食べられればそれでいい主義だったらしい航さんは凝ったのは作れないらしいけど、唯がもう動けるから大丈夫だと言ってもおとなしくしてろと唯をソファから動かないように、と苦笑しながら言われ、唯は大丈夫なのに、と言いつつもそれに甘えた。

 そういうこと言われると大事にされてる、と思えて嬉しくなってしまうんだから仕方ない。
 ちょっとした事が嬉しくて仕方がないんだ。
 ご飯作ってうまいな、って言って貰えればそれで嬉しいし満足だ。

 亜矢加さんの事ではちょっと…いや、かなり唯の中で葛藤があったけれど、それでも航さんにちゃんと言って貰えればそれだけでやっぱり嬉しいし安心してしまう。航さんは唯を子ども扱いはしないし、ちゃんと向き合って話してくれる。唯の中が航さんでいっぱいになっている。

 こんなに誰かで自分の中が溢れるなんて自分でも驚きだ。
 航さんと一緒にいると心の中が忙しい。でも航さんから離れるなんて考えられない事で、どんな事があっても航さんの傍にいたいと思ってしまう。

 自分なんかが航さんの役に立つなんて思った事もなくて航さんには色々貰ってばかりだと思っていたけれど、そうではなかったらしい事も知った。
 航さんがゆっくり眠った事がない、なんて…航さんが唯に嘘をつく必要はないだろうから本当の事なのだろう。
 それに唯だけが航さんの事を特別だと思っていたのにどうやら航さんも唯だけを特別に思っていてくれたらしいのはとても嬉しい事だった。

 「…どうしよう…」
 唯はキッチンで動く航さんの音を聞きながら一人ソファで悶えそうになる。
 嬉しすぎる…。
 ずっと人と関わるのを避けてきた唯が心休まる場所が出来るなんて今まで考えた事もなかった。小さい頃からずっと苦しい思いのまま一人で生きていかなきゃないんだと思っていた。誰にも理解されず一人で抱え込んで、そのうち家からも離れて一人で、と思っていた。

 それがまさか…。相手が男の人とはいえ好きな人が出来て、理解してもらってそして一緒にいられるようになるなんて…。
 小さい頃の自分自身に教えてあげたい。
 大きくなったら幸せって思えるようになるよ、と。

 自分が人と違うんだと知ってからは見知らぬ世界にひとりぼっちで心細く立っている気分だった。しかも足元が崩れそうな所にだ。周りの人は皆見知らぬふりで通り過ぎていく。
 それが航さんはたった一人唯に手を差し伸べ、支えてくれた。
 そして自分から助けを求めるのも航さんにだけだ。

 「……重いよね」
 唯は小さく呟いてソファの上で膝を抱えて小さくなりながら苦笑した。
 自分は普通の高校生とかなり違う。でも航さんと出会えて初めて自分の変な力があってよかったと思えた。持っていなかったら航さんと出会えていなかったかもしれないんだ。

 男同士というのは最初ちょっと気になったけど、唯自身はそんな事些細な事と思えるようになっていた。それを言ったら唯は人種が違う位の差を持っているはず。人と違う力に比べれば些細な事とさえ思えるようになったんだ。
 だって航さんは唯にとってただ一人の人だ。

 「唯?」
 用意が出来たのか航さんが唯を呼んだ。ぼうっと考え事をしていた唯がはっとする。
 「どうした?まだ具合悪いか?」
 「え?ううん!大丈夫!」
 まだ緩慢な動きではあるけれどソファから降りてダイニングに向かった。

 広い航さんのマンションに航さんはずっと一人だったらしい。
 「航さんはここに住んで何年位?」
 「三年…過ぎた、かな。その前はもっと狭い部屋でペーペーだったし、最初の頃は自炊してたんだけどな。ここに来てからはほとんどしなくなった。余裕も出てきたからだけど、それ以上に仕事に夢中になって生活は荒んでたから…」

 「…そうなんだ」
 「……唯が来るまでは無機質な部屋だと思ってた。唯がおかえりって迎えてくれるようになって初めて帰ってくる場所だと思えた。それまでは寝るだけの場所だった」
 航さんがダイニングの向い側で自嘲を浮かべていた。

 「人として…どこか壊れているのは分かっていた。でもそれでも別に支障はなかったから見ないふりをしてたけど…。こんな風に誰かの為に飯作ったりとか…自分でも考えられなくて…」
 「…そうなんだ。…あの…いいけど…どうしてステーキ?」
 食卓の皿の上には立派な唯が目にかかったことないようなステーキが乗っていた。
 「そりゃ唯に体力つけてもらわないと。あとお祝いも兼ねてだな」
 くっと航さんが意地悪そうな顔で笑って唯はかぁっと顔が熱くなった。


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