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追憶の彼方には戻らない 133

 光流を送った後航さんのマンションに行って、部屋まで航さんと小木さんもついてきた。
 「唯、コーヒー」
 「え?…時間、いいの?」
 「いいよ。進展のない聞き込みより唯の方が優先だ。それでなくともまだはっきりした事が分からない状態だからな…」

 航さんがやれやれ、と言わんばかりの溜息を吐き出し、小木さんは苦笑を浮べながら一人掛けの方のソファに座った。
 唯は鞄を置いてコーヒーを入れにキッチンに向かう。

 「なんか生活感が漂ってますね。今までどこか殺風景な感じだったのに」
 小木さんがきょろりと部屋を見渡しながら言った。
 そういえば、唯もかつてそう思ったけれど、確かに今はあちこちに唯の住んでいる痕跡も散らばっている。
 ゲーム機があったり、唯の帽子があったり、ダイニングには朝につかった醤油が置かれてたり…。
 いつのまにかちゃんと住んでいる空間になっていたらしい。

 「そりゃな。ちゃんと帰って来てるし」
 「本当によかったですよ」
 小木さんが唯の方を見てにこやかに笑った。
 小木さんはいつでも優しい雰囲気で厳しい空気感の航さんとは反対だ。

 「先輩が激変わりしたのには驚きですけど」 
 ははっと小木さんが笑った。
 唯はコーヒーを入れてリビングのテーブルに運んだ。
 「あの…航さんの事、先輩って…」

 「ああ。高校の先輩なんですよ。だからつい、ね」
 「…高校…」
 航さんの高校の時ってどんなだったんだろう?
 ちらっと航さんに視線を向けるけど航さんは表情も変えなくて自然体のままでコーヒーカップに手を伸ばしている。
 今は暢気にそんな事聞ける状況じゃないけど、その内に聞きたいな、と唯は口元を緩めるだけにした。

 「唯、署に戻ってあと帰ってくるから。それまでは出かけないように」
 「うん」
 「来客とか宅配とかあっても出るなよ」
 「うん。あ、お母さんに電話してもいい?変に思ったかも…」

 「ああ、そうだな。お母さんにもさっき学校に言ったようにストーカーかも、と濁して言って変わった事があれば唯の携帯か俺のにかけてもらうように言っておいて」
 「…はい。………でも…男なのにストーカーとか…」
 「今は男女関係なくあるからな。大きな事件に繋がる可能性が消し去れないけど今は実害がないと動けないから難しいんだ…」

 「…ニュースにもなるもんね…」
 「まぁ、唯の場合はちょっと違うけど…。すまないな」
 「ううん!」
 唯はソファに座る航さんの隣に座って首を横に振る。
 これは航さんが謝る事じゃない。

 「何か万が一あればすぐ連絡。いいね」
 「うん」
 コーヒーを飲み終えた航さんが立って、小木さんも立ち上がった。
 「じゃ、唯…すぐ帰ってくるからちょっとの間だけ待ってて」
 「大丈夫だよ?」

 「あんまり大それた事はしない奴だから大丈夫だとは思うが…」
 「唯くん、言っちゃなんだけど小物だから」
 小木さんが苦笑を浮かべていた。
 「小物なんだが執念深い。ただ自分が頭いいと思いこんでるバカだから心配なだけなんだ」
 航さんが玄関で靴を履き終えるとそっと唯の頬を撫でた。

 「買い物もだめだぞ?」
 「……はぁい」
 折角久しぶりに早く帰ってこられたのが嬉しいけど、外は確かに危険だろう。

 航さんと小木さんを見送り、リビングに戻って母親に電話をかけた。 
 どうしたの?と心配されたけどどうにか航さんに言われた事を告げていいように誤魔化し、母親にも注意を促してから電話を切った。
 すると今度はメールが来た。

 「あ…」
 江村さんであのあと変わりはない?と唯を心配してのメールだったらしい。
 どうしよう、と唯は一瞬悩んだ。
 部屋に一人でいるのが心許ない、というわけではないけれど、少し江村さんと話がしたいな、と思った。
 電話するなんて滅多にないけれど、電話してもいいですか、とメールしたら江村さんから反対にかかってきた。

 「もしもし!」
 『唯くん?どうかした?』
 「あ、と…今はなんでもないですけど…あの…電話すみません」
 『気にしないで』
 江村さんがふわりと雰囲気を和らげたのが電話越しにも感じられた。

 『何かあったんだ?』
 「ええと…今は航さんのマンションまで帰って来てるので大丈夫なんですけど…。それに何か、って程でもないんですけど…ちょっと…」
 『…武川刑事は?』
 「ちょっと前までいましたけど今は署に一回戻るって」

 『一人?大丈夫?』
 「はい」
 江村さんの声は高くもなく低くもない。それでいて耳に心地いい声だ。静かな口調に唯の心が和んだ。
 すっかり唯の中では江村さんもほっとできる人になっていた。
 
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