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追憶の彼方には戻らない 139

 「唯」
 光流の部屋に入ってからも光流は唯から聞き出そうとしていた。
 「叔父貴にも言わないから。抱え込むなって」
 「何を?別になんでもないよ?」
 「なんでもないわけないだろ!そんな顔して」
 そんな顔ってどんな顔なんだろう…。

 唯は思わず光流から視線を逸らせて顔を俯けてしまった。
 「ほら!」
 「………人の心の声を聞いたのを人には言わない。この前の事件の時は…また誰か被害者が出るかもと思ったからだけど…。そういう時以外は言わない」

 「………はぁ」
 光流が大きく息を吐き出したと思ったら自分の机の椅子にどかりと座って上を向くと髪の毛をぐしゃぐしゃとかいた。
 「分かってる!唯がそんなのぺらぺら喋る奴じゃないってのは!でもじゃあ唯が昇華しきれない分はどうするんだ?全部内に秘めておくのか?」

 「…そうやってきたよ?」
 「………」
 光流が顔を唯に向け顔を歪ませた。
 「…だよな…」
 はぁ、ともう一度光流が溜息を吐き出した。

 「…辛くなったらいつでも言えよ?言っただろ?俺は唯の味方だって」
 「……あり、がとう」
 ぐっと声が詰まった。
 「どうして…光流も航さんも…僕なんかに優しいんだろう…」
 「なんかって事はない。そういう唯だからだよ」 

 光流が椅子から立ち上がると床に座っていた唯の頭を抱えた。
 「頑固!」
 〝ばかやろ!ちったぁ頼れ!〟
 「…少しじゃなく頼ってばっかりだと思うけど…図々しい位なのに…」
 「どこが!?」

 光流はすぐに唯から離れる。それに泣きたい気分になってきた。
 「…光流が信じられないんじゃないよ?信じてる…」
 「わぁってるよ」
 そう言ってぐちゃぐちゃと唯の髪をかき回すようにしてきた。
 「ひどい!」
 「はっはー!」

 光流はわざとそんな事して唯の気を逸らしてくれようとしてる。
 本当に航さんに出会えたのも光流に会えたのも江村さんに会えたのも奇跡みたいなものだ。
 だから大丈夫。
 「亜矢加さんに会った事は叔父貴に言っとくから」
 「……うん」

 会った事は光流にだって言う権利はあるのでそこまで唯は止める事はしない。
 本当は航さんのマンションに帰りたい。そして航さんが帰って来たら甘えたい。
 キスして欲しいし抱いて欲しい。
 そうしたら余計な事なんか考えなくてすむだろうから。

 でも今は光流の家で晩御飯も光流の家でご馳走になってからじゃないと帰れない。
 我儘言って帰りたいと唯が言えば誰も止めないのも分かっている。だからこそ言えなかった。優しい人達が唯の事を心配してくれているからこうしてくれているのにそんな事言えない。それにほんの少しの時間だけ我慢すれば航さんと一緒に帰れるんだから。

 今日だけは事件も何も起きないで欲しい。航さんに早く帰って来て欲しいから…そう願ってしまうのがささやかな我儘だった。
 今か今かと航さんの帰りを落ち着かない気持ちで待った。
 どうしてこんなに不安なのか…。航さんが唯の元に帰って来ないわけでもないのに。

 心を紛らわせる為に光流のお母さんの手伝いを率先した。光流はしなくていいと言ったし、光流のお母さんもどこか心配そうな目で唯を見ていた。それでも光流のお母さんは何も唯には聞かないで仕事を与えてくれた。

 航さんから帰るというメールが来たのはいつもよりもちょっと遅い時間で、でもそれにかなり安堵した。何が不安だったのか自分でも分からない位に心が疲弊していた。
 窓から外を眺めて車のライトが入ってくるもが見えた時は泣きたい位だった。

 なんでも言って、と航さんに言われていたけど亜矢加さんの声を勿論言うつもりはない。きっとむき出しにして向けられた負の感情を過敏に受け取ってしまっただけなんだ。
 「航さん…」
 「…ただいま、唯」
 玄関に入ってきた航さんの姿に安心してそして抱きついた。光流の家だ、と分かっていても抑えられなかった。

 「唯…?どうした…?」
 航さんの声が怪訝なものに変わる。
 何でもない、と首を横に振りながらも言葉は出なかった。
 「ちょっとだけ…こうしてて…」

 小さく航さんに頼むと航さんは何も言わないで唯を強く抱きしめてくれる。航さんは無条件で唯を受け止めてくれる。たった一人の人だ。
 例え誰かに恨まれようと航さんを離す気なんてない。
 ぎゅっと唯は航さんの胸に縋った。
 
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