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追憶の彼方には戻らない 149

 航さんは管理人さんになにやら挨拶して、それから部屋に向かった。
 「もしかして…連絡…?」
 「ん?ああ。誰か来たり唯が出かけたりしたら連絡入れてもらう事にしてた」

 「………そこまでする?」
 「心配なんだよ」
 「ホント…先輩重症ですよね」
 「ほっとけ」
 エレベーターの中での会話だった。

 「…小木さん大変じゃない?」
 「なれました。というか大変なのは前からなので、今は早く帰ってくれるし休んでくれるのでかえって楽になりましたよ。唯くんのおかげです!ホント!おかげで彼女からの別れ話なくなったし!」
 「…よかった」

 「そんなんで別れる位ならそれまでなんだよ」
 「ええ!…僕だったら航さんとそんなに会えなかったら辛いけど…」
 「ちゃんと帰ってきてるだろう?」 
 航さんがむっとしたような口調で言うので小木さんと顔を合わせて微かに笑てしまう。

 「あ、洗濯物干してる途中だったんだ…。お天気いいからすぐ乾くよね!待ってコーヒー先に入れるね」
 ぱたぱたと唯が部屋を動いて航さんと小木さんはソファに座った。
 「先輩…」
 小木さんが航さんを見てむずむずと口を歪めて航さんは口元を引き締めている。
 「……言うな」

 「いえ…はい…まぁ…先輩の気持ち…分かりますけど…」
 「……」
 「なぁに?」
 小木さんが航さんに何が言いたいのか分からない。

 「いえ、唯くんの幼な妻っぷりが可愛らしいなぁ、と」
 「言うなって言ってんだろ」
 ……言うな、って航さんが言ってるってことは航さんもそんな事思ってるって事?
 「そこはどうでもいい。で、唯?詳細は?」
 航さんはぶっきらぼうにそんな風に言ったけど、小木さんは口元を押さえて笑いを堪えてる。

 「んん?何の?」
 「さっきの亜矢加のだ」
 「…だから何もないってば」
 コポコポとコーヒーの落ちる音と香りが部屋に広がっていく。
 「…すぐにでもご実家に帰るって。それだけ」

 「………んなわけねぇだろ」
 小木さんも航さんも亜矢加さんの唯に向けられた言葉を聞いたはずなのに何も言わない。
 優しいなぁ、とさっき亜矢加さんに向けられた唯に突き刺さった言葉がそれだけで昇華されていくみたいだ。
 何も言わない唯に航さんは諦めたのかそれ以上突き詰めては来なかった。

 「…本当にもう大丈夫なのか?」
 「…うん」
 コーヒーを入れて運ぶと唯は当然のように航さんの隣にすとんと腰掛けた。
 「それにしても…先輩の方が尻に敷かれてるんですねぇ…知らなかった」

 「ああん?」
 「だってさっきの!唯くんにきっぱり拒否られてすごすご言うとおりしてるし」
 「……」
 「あれは…だって…」
 「ホント唯くんといる時の先輩って別人ですもんね」

 「……お前は最近随分いい気になってきてるな…」
 「気のせいですよ?」
 小木さんはいつも通りににこにこ顔だ。
 トイレ貸して下さいと小木さんが立っていなくなった隙に航さんに抱きついた。

 「今日…帰り早い?」
 「うん?」
 「……甘えて…いい…?」
 あんな目と言葉を向けられたのは久しぶりで、自分から仕向けた事だったけど、それでもやっぱり心に突き刺さる。小さい頃の事まで思い出しそうだった。

 「いつでも…唯」
 航さんが軽くキスしてくれて頭にもキスしてくれる。
 「俺はお前だけいればいいんだ」
 「…うん…。僕も…」
 でも航さんは仕事があるし、唯だって学校がある。一日中べったりしてる事なんてあんまりないけれど…。

 「夏休み取るから…どこか泊まりにでも行こうか?」
 「…いいの?」
 「ああ。あ、光流には言うなよ。ついてきたら大変だ」
 「まさか」
 「いやあるって」
 航さんがキスを頭やこめかみや頬に、あちこちにしてくれる。
 それだけでくすぐったくて嬉しい。

 「あのー…すみません」
 いつの間にか小木さんが戻ってきたらしく唯は慌てて航さんから離れた。
 「邪魔してごめんねぇ」
 「まったくだ」
 「先輩……さ、行きますよ。ホント…唯くんの事になると仕事より優先なんだから」

 「別に急ぎの仕事じゃないんだからいいだろ」
 「いいですけどね。はい。唯くん心配なのは分かりますし」
 「……あの…すみません」
 自分のせいで小木さんまで巻き添え食っているのだ。
 「唯くんは気にしなくていいよ。唯くんの事を最優先にしていいって決まってるから大丈夫。ほら唯くんは機密扱いだからね」

 「…そうなんですか?」
 「そうだよ。だから気にしない。………唯くんは気にしなくていいけど、先輩はもう少し気にした方がいいかも。何かというと仕事抜け出そうとしてばっかりなんだから…」
 はぁと小木さんが溜息を吐き出し、え?と唯が横にいる航さんを見れば航さんは罰の悪そうな顔をしていた。

 
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