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追憶の彼方から放されたい 84

 尾崎は仕事が本当に忙しいらしく部屋にも帰っていないらしい。
 仕事の内容は守秘義務があるので勿論克巳から問う事もしない。克巳もいくらか警察に関与しているが、克巳は本当に所属しているわけではないのだ。

 色々と克巳の胸中が複雑だ。
 警察にこのまま就職もありかもしれないが、尾崎に迷惑になるかもしれない。でも一緒に分かち合いたいとも思う。…許されるなら、だ。
 「…マイナス思考かな」
 はぁ、と何もする事もなくぼうっとしていたがとりあえず大学の課題を片付けようと机に向かった。

 雅彦からの電話がいつ鳴るかと身構えていたのに予想を反して二日経ってもまだかかってこない。
 すぐにでもかかってくるかと思っていたのだが…。
 そう思った矢先に電話が鳴った。
 表示は番号のみ、という事は知らない相手だ。

 「…もしもし」
 『雅彦だけど?今から出てきて』
 「…急じゃないか?」
 『場所を言う』
 克巳の予定の有無は無視らしい。一方的に店の名前らしい名称と場所、そして時間は一時間後に、と言われて電話が切れた。

 時計を見れば夕方の5時。今日は尾崎の電話は朝に一度来たきりだ。
 克巳の体はすでに元の調子に戻っていたがどうにも気分は悪い。なんで雅彦なんかの言いなりにならなければならないのか、と思いつつも溜息を吐き出して携帯の充電を確かめた。どんな店なのかは知らないが服装を指定されたわけでもないのでそのままジーパンでいいだろう。わざわざ着替えてやる必要もない。

 何が待っているのか分からないが気は引き締めていかないと…。
 克巳は家政婦に帰りは何時になるか分からないが雅彦に会ってくる、と言って自宅を出た。
 会う相手が雅彦だと決まっていたわけではないが一応言っておけばいいだろう。
 気乗りしないまま仕方なく指定された場所に向かう事にする。

 嫌な気しかしないが自分でどうにかするしかない。
 克巳は表情を固くしたまま店を探した。
 指定されたビルを眺めても店の名前がない。本当にあるのだろうかと思いつつエレベーターで指定の24階まで昇っていく。エレベーター内に店舗の張り紙があったけれどそこにも店の名前はない。

 言われたのは Fais un reve (フェザンレーヴ)という店らしいが…。
 雅彦に言われたとおりに24階でエレベーターを降りると妖しげな重厚なドアが現れた。
 克巳はどうしろと?と悩んでしまう。ドアに店の名前が書いてあるわけでもないし、案内が出てるわけでもない。どんな店かも分からないし、絶対に怪しすぎる。これは回れ右して帰った方がいいんじゃないかと思ってたらそのドアがホラー映画のようにギィっと音を鳴らして開いた。

 内心ひっと悲鳴が出そうな位にビビッていたがポーカーフェイスを貼り付けていた。
 「お待ちしておりました。どうぞ」
 開けられたドアから中を覗き見れば普通のバーのようだ。
 「こちらは会員制になっておりますので普段はどなたでも入られるわけではございませんが」
 慇懃な物言いで髭を生やしたブラックスーツを着た男が克巳に愛想笑いを浮かべていた。

 絶対ヤバそうな店だと思う。思うが克巳はその慇懃な男に案内され店に足を入れた。
 尾崎に一言位は出かけるとかとでも言っておいた方がよかっただろうか?でも急がしそうで電話もない位なのにいちいち言うのも情けない気もするし、尾崎は保護者なわけじゃないんだからと自分に言い訳をする。
 それに詳しくと聞かれたら全部暴露してしまいそうだ。

 …とは言っても詳しい事は全然克巳にも分かってはいないのだが。
 「さすがに血統書付きの猫は肝が据わっていらっしゃる」
 案内する顎鬚の男が克巳を見て馬鹿にするように笑った。
 血統書付きの猫とは自分の事か…。
 尾崎にも同じような事を言われた事はあるが今ほどムカつかなかった事は確かだ。

 しかしどうやら克巳の素性は知っているらしい。雅彦が言ってたのかどうかは知らないが。
 足元の絨毯はいいものだと分かる。店の中の内装も一流の物をつかっているらしい。…だがいかんせん怪しい気配はありすぎる。暗い店内だは仕切りがあるわけでもなくちらほらとこんな時間からグラスを傾けるいかにも金をもっているといわんばかりのオヤジが克巳を計るように舐めるように見ているのが分かってぞっとしてくる。

 着ている物やつけている物は一流かもしれないがどう見たって一流の人はいない。いるのは下衆ばかりだ。
 「こちらへどうぞ」
 案内された席には誰もおらず克巳一人が座らされた。
 「すぐにお連れ様がいらっしゃいますので」
 それが誰かも知らない克巳だが顔を俯ける事はなかった。
 
 
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