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追憶の彼方から放されたい 91

 「おい。俺が気に入った。お前は遠慮しろ」
 白いスーツの男が黒の方にそんな事を言っているが真剣みはなくおふざけのように聞こえる。
 「あ~?どうすっかね?俺もちょっと興味出てきたなぁ?」
 克巳の頭の中は考え事で満タンになっている。

 さっき尾崎であろう、白のスーツの隣に座ったオッサンが竜…って呟いたのはどこかの組って事だろうか?だったらそれは黒のスーツのヤツの事に違いない。
 だがそんなヤツに尾崎は平然と本当に友達の様に遠慮なしに話しかけている。

 「お前が?」
 ふんと白いスーツの尾崎のはずの男が鼻で笑った。
 「ちょっと身体を見せてもらっても?」
 ふふんと白いスーツの男が雅彦の方に確認を入れた。

 「…特別にですよ?まだあなた様の物になったわけでもないですからね」
 「分かってる分かってる」
 何を考えている!?身体にはキスマークが…。
 白いスーツの男が手を伸ばしてきて克巳はその手を振り払ったがすぐに腕を掴まれ、そしてぐいと身体を引き寄せられると腕の中に納まってしまう。

 「離せッ!」
 克巳が体を動かしてその腕から逃れようと暴れるが体格の違いでどうにもならない。
 ヒュー!と黒いスーツの男がTシャツを捲くられた克巳の体に残っているキスマークの痕を見て口笛を鳴らした。
 「随分オプションをつけられてるな?」
 黒のスーツの男が楽しそうにじっとりと克巳の体を見ている。

 なんで人に見せるような真似をっ!
 ぐい、と白いスーツの男の腕を払い腕から逃れるとTシャツを下ろし睨みつけた。
 「すみません!お気に召しませんでしたか?」
 「いいや?気に入った」
 白いスーツの男が満足そうに口端を上げているのを見て雅彦がほっと安堵しているのが分かった。

 「今すぐ貰えるものなら小切手を切るが?そっちの言い値で」
 雅彦の目がきらりと動いたが首を縦には動かさなかった。
 「今日はこの辺で」
 雅彦がお開きの言葉を出すと黒と白のスーツが立ち上がった。
 「連絡を待っている」
 雅彦にそう言って二人が出て行き、もう一人のオッサンも慌てたように出て行く。

 全然アレが尾崎だと雅彦は分かっていないのだろうか…?尾崎の顔は知らないのか?…というか尾崎は誰のふりをしているんだろう?
 訝しく思いながらも克巳は顔に出ないように気をつけて雅彦を睨んだ。
 「決まりかなぁ?」
 克巳を見ながら雅彦がくすくすと笑っている。

 「今日はいいよ?あとはもう次は飼い猫になる準備しといて?…って言ったって飼い主が何をどう望むかなんて俺は知らないけど」
 あははと笑いながら雅彦が出て行った。
 頭がこんがらがって少しの間呆然としてしまったがすぐに克巳も荷物をもらって昨日と同じように慇懃にまたのご来店をお待ちしてますと声をかけられながらエレベーターに乗り込んだ。

 どういう事だ?
 尾崎…なはずだけど…違った?いや、違っていない。…はず。
 「あ…」
 預けたままになっていたバッグから携帯を取り出すとメールが入っていた。尾崎からだ。

 ビルを出て駅の手前のコンビニから路地に入った所に車があるからそこまで来て、と用件のみのメールだった。
 今までメールなんかアドレスは知っていてもした事がなかったが、初めてのメールがこれか、と克巳は溜息を小さく吐き出した。
 だが分かった、とすぐに返す。
 とりあえずアレはやっぱり尾崎だったらしい。

 何も事情が分からない克巳はとにかく駅のほうに向かって走り出した。
 走るのは苦手だがいくら苦手でも歩くよりは早く着くはず。早く尾崎の顔が見たかった。あれは克巳を助けに来てくれたのだろうか?
 確かめたい。
 だとしたら今朝のあの尾崎の表情は…?
 克巳が話さなかった事へと憤りなのだろうか…?

 それでもまだ尾崎に見放されたわけではない?
 今、あそこに尾崎が来てくれてこんなにも安心している自分がいた。だったら最初から尾崎に話せばよかったんだ。
 自分でどうにかしようなんて克巳に出来るはずもないのだから。
 コンビニから路地に入ると車が停まっていた。その車に寄りかかって立っているのは白いスーツを着ている尾崎だった。
 走っていた足を緩めてゆっくり近づくと尾崎が克巳に気づき助手席のドアを開けたので克巳は乗り込んだ。

 「あの…車が…」 
 車はスモークの貼られたベンツだった。尾崎の容貌と車に歩いている通行人は視線を合わせないようにしてそそくさと通り過ぎていく。
 「借り物です」
 尾崎が固い声でそう返してくると車を出した。
 
 
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