朝目覚めて、尾崎に教えられながら初めて朝食の準備をした。
ごくごく簡単な事だ。
パンをトースターで焼いてコーヒーを入れて、目玉焼きを作る。
それだけ。
それだけなんだけど、克巳にとっては初めての事だ。
目玉焼き一つ作るのもおっかなびっくり。
今度唯くんに色々教えてもらおう。何しろ同棲の先輩だ。
午前中は尾崎は克巳の父親の所に電話したり引越し業者に電話したりして、克巳は洗濯機を回したり掃除機かけたりをしていた。
自宅ではしなかった事だが、尾崎をこれから住むのだから何でも出来るようにならないといけない。
「克巳に色々させちゃってすみませんね」
「そんな事ない。俺でも出来るってのがちょっと嬉しい」
本当はちょっとどこじゃなくてかなり、だ。何でも尾崎任せだったのだがちょっと覚えれば自分でも出来るというのが分かった。
午前中はそんな事で時間を潰し、午後は運転手を呼んでまず尾崎の病院に行って傷の消毒。そのあと尾崎が行きたい所があると行き先を告げ運転手は尾崎の言う場所へ車を走らせた。
どこだろう?と克巳はただ一緒に車に乗っているだけだ。
「信号を左で、すぐに右折、三軒目です」
車を走らせて三十分近く。住宅街の一角だ。
「そこの駐車場に入れてください。少し…一時間もかけないようにしますが待ってていただけますか?すみません」
運転手は全然よろしいですよ、とにこやかに尾崎に答えている。
「尾崎…ここ…」
克巳は連れてこられた家の表札を確かめて固まった。
「そう。俺の実家です」
「………」
尾崎の実家ならば克巳の母親がいるはず。
「いかない」
克巳は顔を俯け頭を横に振った。今またあんな視線を向けられたくない。
「ダメ」
尾崎の否定に克巳は顔を強張らせた。
「克巳…会って」
尾崎の声が真剣だ。
「…俺が来るって…知ってるのか…?」
「いいえ。言ってません。でもちゃんと自分の目で確かめて」
尾崎が俯けた克巳の顔を覗きこみながら言った。
「確かめる…?」
「そう。はい、下りる」
尾崎が克巳の腕を掴んで車から下ろさせられた。
外は相変わらず暑い。夏だから当たり前だけど、くらりときそうな位に日差しが強い。そしてそっと克巳は尾崎の実家に視線を向けた。
鉢やプランターに咲いた花が綺麗に並んで緑の木も溢れている。敷地は大きいというほどでもないが温かな雰囲気を外観からも感じた。
でも怖い。
克巳は尾崎のシャツの裾を掴んだ。今日は休みなのでスーツではなくシャツだ。薄い麻の生地のシャツの裾をぎゅっと掴む。
「大丈夫」
尾崎は柔らかな表情だ。…尾崎は知らないから…。
母が出て行った時克巳はまだ幼かった。それでも母の目は克巳の中に根深く残っている。それくらい克巳の心に傷を負わせた視線だった。
心臓が嫌な音をたてて倒れてしまいそうだ。倒れてしまった方が楽だと思う位。
「尾崎…」
ぐっと尾崎の手が克巳の背中を支えた。
ピンポンと尾崎がインターホンを鳴らして玄関を開けた。
「祐介くん、お帰りな…」
ぱたぱたと玄関先まで出てきた人の声が止まった。
克巳は顔をあげられなくて尾崎の後ろに隠れるようにした。顔も見られない。いったいどんな目を向けられるのだろうか。
「もしか…して…かつ、み…?」
「そうです。江村 克巳くんですよ」
尾崎の声が穏やかだ。
ぎゅっと尾崎のシャツを掴んでさらに克巳は身体を竦ませるが、尾崎がついと克巳の背中を押してきて前に出そうとする。
嫌だ、と頭を振ったが尾崎の力に勝てなくて足が玄関先に一歩入った。
「克巳…」
女の人の声。知っている…。
そして克巳の身体は何かに覆われた。
「克巳」
克巳は直立のまま抱きしめられていた。
…どういう事?
ゆっくりと尾崎のほうに顔を向けると尾崎が克巳を見て笑みを浮かべていた。
そして自分を抱きしめている人は嗚咽を漏らしている。
「ごめんね…」
小さく聞こえてきた声にぐっと何かがせり上がって来そうになった。
克巳よりもずっと小さい身体だった。抱きしめられてというよりは克巳に抱きついている。
そっと克巳は手を小さい背中に添えた。
「…お、母さん…?」
「大きくなった!」
ぱっと母親が克巳から離れまだ涙で濡れた顔を克巳に向かって見せた。その目にはただ慈愛の色しか浮かんでいなかった。
「ゆっくり話しは中で。はい、克巳も靴ぬいで」
「あ…ああ」
尾崎に促されて靴を脱ぎ、戸惑いながらも尾崎の実家に上がった。
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