ウサギ
「あ、うまい」
「だろ?」
頼んだ料理は家庭的なものが多く、それを摘んだ雪兎が素直に感想を言うと市原は破顔した。
「お前も…一人暮らし長いだろうし。俺も大学なってからは一人暮らしだけど…」
市原が苦笑を浮かべてそう言った。
「…よく来るんだ。ここ。安いし腹の足しになるし、うまいし」
確かに料理の値段も安いし料理もポテサラや肉じゃがとかおでんとか、しかも家庭的っぽい味だ。
夫婦なのだろう大将とオバチャンがきりもりする店はそれなりに繁盛しているらしい。きっと一人暮らしの家庭料理に飢えた人達が多く訪れるのかもしれない。
料理を楽しむ目的も多いからか変な酔っ払いもいないらしい。
大概の人の前に酒と一緒に家庭的な料理がつまみで並んでいてそれを口に運んでいる。
店の雰囲気もどこか懐かしいような感じでなるほど、疲れた一人暮らしの人には居心地がいいかもしれない、と納得する。
「穂波、仕事は…?」
「司書」
「……なったんだ?…なりたいって言ってたもんな」
高校の時に進路の事を話したりしていた時に市原には言った事があったがどうやら覚えていたらしい。
「…市原は?」
「俺は適当に選んで入った会社の今は営業」
あ、名刺、といって市原が名刺を出して渡してきて雪兎は受け取った。渡された名詞にはコピー機器のメーカーの名前が書いてある。
「大手じゃないか…すごいな」
「こき使われてるけどな。でもまぁどうにか」
市原がどこか落ち着かないように視線をあちこち彷徨わせ、雪兎を見ては視線を逸らし、口元を覆ったり頭をかいたりと忙しない。
なんだ?と思いつつも酒よりも腹を満たそうと雪兎は料理をつまんだ。獅王が来なくなってからどうも弁当が多くなっていて久しぶりのちゃんとした料理だ。
獅王が来る前は一応少しは自炊してたはずなのに獅王が来なくなっただけで自炊するやる気もどこかに消えうせてしまっていたのだ。
「あのさ…」
「うん」
「……あの時は…悪かった…」
小さく謝り市原が頭を下げ、雪兎は目を瞠った。
「……何、…が?」
「…お前から逃げた事…」
そう言って市原は俯けていた顔を上げ、雪兎を見た。
「……今更?」
「そうなんだけど!……本当に…」
市原が言葉を詰まらせる。
「もう…別にいい」
今は獅王がいるから…ずっと燻っていた市原との事が根強く雪兎の中に残っていたのに獅王が全部それを昇華してくれたから。
「…よくない」
よくない、と言われても、とかえって雪兎のほうが困る。
本当にちょっと前ならばこの市原の言葉は嬉しい事に感じたかもしれないが、今はそんな事よりも獅王が足りないと思ってしまう事の方が大きいのだ。
もう二週間位か…あと半分。長いとも思えるし短いとも思える。
ちゃんと待っていられるとも思う。
あんなに拘っていたのに…。
雪兎からの告白をしても市原は一度も言葉をくれなかった。挙句に逃げるように去っていったのにも雪兎が諦めるまで、割り切れるようになるまでかなりの時間を要したのは確かであるのに今は穏やかに向かい合っていられる。
多少確かに心に苦味が広がるのは仕方ない事。それでもそれを癒してくれる存在が今はあるから…。
獅王に会いたい…。
「やっぱり…忘れられないんだ」
「………え?」
獅王の事を想っていて半分市原の言葉が雪兎の耳を通り抜けていった。
「…穂波から逃げるようにして避けて…携帯も変えて、大学にいって女とも付き合ったりしたけど…どうしても…お前の事が忘れられなくて…」
今そんな事言われてもと雪兎は困惑するだけだ。
「怖くて…逃げたのに…」
怖くて…?
雪兎は怪訝そうに眉根を寄せた。
「言い訳にしかならないけど…お前が好きすぎて…怖くて逃げた。俺もまだ高校生で…若くて…なんで男と…って足掻いて…でもやっぱり…」
「…今更そんな事…」
「分かってる。…分かってるけど…やり直し…させてくれないか…?好きなんだ」
…なんて都合のいい。
それで頷いたら自分はただの馬鹿だろう?きっとそれでまた捨てられて終わるに決まっている。
「…今付き合っている相手がいる」
「……だよな…。お前綺麗になったし…昔も可愛いと思ってたけど…」
誰だ?これは?
昔は好きだなんて一言もなかった。可愛いなんて言われた事もなかった。ただ何も言わずに体を重ねただけだったのに。その時は言葉もなくともいいと思っていたけれど、毎日わざわざ言葉にしてくれる獅王の事を考えればやはり言葉は嬉しい。
…それが今…?
たくさんのポチいつもありがとうございますm(__)m
にほんブログ村小説(BL) ブログランキングへにほんブログ村 BL小説