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ライオンとウサギ 98

ウサギ

 「本当なんだ…。今日穂波に会ってやっぱり好きだって…」
 居酒屋の雑踏の中でこんな事を言われても…。
 はぁ、と雪兎は大きな溜息を吐き出す。

 「俺は今付き合ってる人がいる。大事な相手だ。……ずっと俺が好きだと言っても何も言葉もくれず挙句に捨てられて傷ついていた心を癒してくれた大事な存在だ」
 「…それ、って…」
 市原が雪兎の言葉に青くなる。

 「ちがう…ずっと好きだった」
 市原が首を横に振りながら表情を顰める。
 「…一度だってそんな事聞いた事もなかった。俺から言った時もお前は何も言ってもくれなかった。…だから…」
 「ちがう…その…言わなくても分かってくれてると…」
 そんなわけあるか!

 そう思っていた時期もあったけど、母親が亡くなってゴタゴタしていた時期に合わせてフェードアウトされるようにいなくなったらただ都合のいい存在だけだったんだと思うしかないだろう。そう思って心に折り合いをつけてきたのに今更になって何を言い出すんだ。
 「ずっと好きだった」
 ずっと…?
 くっと雪兎は笑い出した。

 「本当だ…。その…信じてもらえないかもしれない…けど」
 当たり前だ。
 母親も亡くして一人になって辛い時期に追い討ちをかけられるようにいなくなった相手をどう信じろと?若かったから?そんなの言い訳にもならない。

 現に獅王はあの頃の自分達とほとんど年は変わらないのにちゃんと雪兎の事を真剣に考えてくれている。雪兎の欲しい言葉も態度も全部獅王は埋めてくれる。足りなかった雪兎の心の欠けた部分を補ってくれるように埋めていってくれ、家族にまで紹介してくれた。
 それを思うとやっぱりますます獅王に会いたくなってくる。
 昼間のキスが雪兎の体を疼かせた。
 ずっと二週間抱かれていない。獅王を感じたい。いつも獅王は雪兎を抱く時だって可愛いとか好きだとか言葉で言ってくれる。

 いや、可愛い…は別にいいけど…年も雪兎の方がかなり上なのに…。
 でもそう言われるのは嬉しいと思うんだから…。

 「今更だ。…当時欲しかった言葉を今貰ってもなんとも思わない…。あの時に欲しかった…」
 勇気を出して小さい声で好きと雪兎から言った言葉に市原は何も返してくれなかったのだ。それがずっと心に残っていて雪兎から好きという言葉を言えなくなっていたのに…獅王に好きだと言われても返す事も出来なかったのは市原との事があったからだ。

 それでも獅王はずっと待ってくれてようやく雪兎からも言える様になったのに…それが八年もかかったのに、その八年後に元凶の相手から言葉がくるのか?
 皮肉だ、とくすと雪兎は笑ってしまう。
 「穂波…本当に…そう思って…たんだ。照れくさくて言えなくて…お前に夢中になっていくのが分かって…怖くなって」
 「それで?黙って捨てたんだ?俺の事なんて何一つも考えてくれてないって事だろう?」
 それは全部市原だけの都合だ。

 雪兎だって市原がどんな思いでそうしたかなんて知りはしない。何しろ市原は何も言ってはくれなかったのだから。だったら話してくれればよかったんだ。そうしたら少し距離を置く事だって考えたはず。だってあの頃は本当に雪兎は市原の事が好きだったから。
 獅王とは今は距離を置いているけど、ちゃんと獅王が話してくれてそうした方がいい、と納得しているから、信じられるから、だからそうしてる。それもしなかった相手に今更何を言われても雪兎の中で何も変わる事はない。

 「…謝っても仕方ないのは分かってる。全部俺が悪いのも…穂波を傷つけたのも…分かってる…。お前があの頃辛そうな顔してたのも…分かってる」
 「全部分かってて…」
 捨てたくせに。
 そう問い詰めたい言葉を雪兎は止めた。

 「…もういいよ」
 今は獅王がいる。過去の事を言ってももう仕方ないと今は落ち着いていた。
 「…自分がした事…分かってる…いくら何を言っても穂波には信じてもらえないかもしれないけれど…。でもやっぱり俺は穂波が好きだ。こうして目の前にして…そう思える」
 「俺はもう思わないから」
 「待つ。付き合っている相手がいても待つ。ずっと穂波を傷つけた…それが俺の罪だと思うし…」

 「待たなくていい。別にそんな事して欲しいわけじゃない。俺だって市原の事待ってたわけじゃないし?大学の時だって適当に遊んでもいたし?それでも今はちゃんと大事な人がいるから」
 「いい…俺が勝手にする事なだけだ。ただこうしてたまに飲みにとか誘ったら相手して…欲しいけど…俺に都合よすぎだろうか?」
 「そうだな。そんなつもり俺には全然ないから二度と誘わないで欲しい」

 雪兎は立ち上がった。
 「でも今日は会えてよかったとは思う。すっきりした」
 過去へのふんぎりがついた、とは思った。 
 

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