やはり莉央の所にしようか。
他の業者と見積もりの額はさほど変わらなかった。
それならば虹の指し示した莉央の所でいいだろう。
渡された名刺を手に綾世は電話をかけた。
「見積もりを依頼した川嶋ですが、お世話様です。ええ、お願いしたいと思いまして。それで、その他にも皿やカトラリーもお願いしたいのでカタログを…ええ、お願い致します」
これでまた一歩進んだ。もう後戻りは出来ない。
いや、後戻りするつもりもないけれど。
電話を切って綾世ははぁ、とため息を吐き出した。
また来るのは莉央だろうか?
ちょっと期待してしまう。
なんと言っても店が出来るのを心待ちにしてもらえてたのが嬉しい。
不安でいっぱいだった心に一筋の光を灯してくれた事に感謝さえしてしまう。
莉央の会社の電話に出たのは事務らしい女性の声。
今置いたばかりの電話が鳴って綾世ははい、と受話器を取った。
『ゴトウ食品の平山です。決めていただいたと連絡が…』
「ああ、川嶋です。ええ。お願いします」
すぐに事務から連絡が行ったらしい。
当人からの電話に少しどきりとした。
『それで皿やカトラリーもというお話ですが、早いほういいですよね?今外に出てますので夕方になってもいいですか?カタログお持ちしますが』
「夜までずっと店のほうにいるので遅くなっても構いません。お願いします」
『はい。ありがとうございます。では後ほどお伺い致します』
笑った顔が見えそうな位に声が弾んで聞こえた。
それに思わず綾世までクスと笑みが浮かびそうになった。
人懐こい。
「では後ほど。お待ちしております」
そう言って綾世は電話を切った。
さて、やる事はいっぱいある。
一番時間がかかるであろうメニュー決め。
ある程度頭にはプランは出来ているが…。
前に店をはじめた時は何を決めるのも二人で相談しながら決めてきた。
今回は全部一人だ。
試食の意見が聞けないのは少し偏ってしまう気がするが仕方ない。
もう二度と他人を頼る気はしない。
全部自分の責任。
その重圧にどこかに縋りたくなる時もある。
ふる、と綾世は頭を振った。
自分で決めた道だ、迷うな。
客席から綾世は厨房に移動し、買ってきたもので試作を作っていく。
パスタの味は決まっているからコースとランチの方だ。
バイトを使うといっても味を決めるのも調理も自分一人でしなくてはいけないから時間がかかるようなのもだめだ。
頭に浮かんでいたメニューを次々と作って並べていく。
作った直後に一口食べて。
冷めてからもう一口。
その合間に次の料理。
試行錯誤しながら作っていく。
まだ調理器具も十分でもないし、動き方も勝手が分からない。
これは慣れていくしかないけれど。
洗い場が大きいのは助かった。
居抜きでここを借りているので全部が自分の思い通りとはいかないのは仕方のない事だ。
頭で描いてたのと違うところ、いいところも出てくる。
でも思っていたよりも動きやすいのに安心した。
すっかり料理に夢中になっているとドアのカウベルの音が聞こえて、誰だ?と一瞬訝しんだが業者だ!と思い出し、綾世は慌てて手を洗って厨房から客席に出た。
「あ!すみません!遅くなりました」
莉央が焦ったように言うのに時計を見ればもう夜の7時を過ぎていた。
「いえ、いいです。どうせまだ帰れませんから」
「そう、ですか…。開店前は忙しいでしょうね…。あ、カタログです」
「ありがとう。もしこれから時間があれば書き出していくけれど…?もうほぼ欲しいものは決まっているから。急いで見積もりと納品がいつになるか知りたいんだけど」
「はい。時間は大丈夫です」
にこりと莉央が笑う。うん。いい男だ。やっぱりちょっと惹かれる。
いや、ダメだろう。まったくなんて自分は節操がなんいだ、と綾世は苦笑が出そうになる。
痛い目に合ったばかりなのに…。懲りてないのか…?
自分で呆れるしかない。
「そこの席に……」
言いかけて綾世はふと、厨房に大量に並んだ料理を思い出した。
「ええと、莉、央、…」
しまった!名前呼びってありえないだろう…。まだ会って2回目だぞ!
あまりにも名前が鮮烈すぎたのがいけない。あわっと思わず綾世が口を覆うと莉央がくすっと笑った。
「莉央でいいですよ?俺の事は大体皆さん名前で覚えられますから。そんなに名前覚えやすいんですかねぇ?」
「……覚えやすい。…君に合っているから」
「…そんな事言われたのは初めてだ。じゃあ、俺も綾世さんでいいですか?」
にっこりと莉央に言われる。
自分から名前を呼んでおいてまさかダメだとは言えないだろう。
テーマ : 自作BL小説
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