「おはよう」
「……おはようございます。綾世さん帰ってないでしょ」
姿を見せたと思ったら藪から棒に莉央が口を開いた。
「え?」
莉央はスーツ姿でなくジーパンにTシャツ、上にシャツを羽織っている。私服だとまた違う雰囲気だ。髪もいつもよりふわふわしている。
「…帰ったけど?」
朝方に。
そして莉央は何か手に荷物を持っている。
「何時に?だって夜中1時の時点でまだ電気ついてましたけど?電車もうないでしょう!?」
「……6時」
「………それ帰ったって言わないでしょう」
はぁ、と莉央が溜息を吐き出した。
「昨日よりさらに顔色悪いです。絶対。綾世さん、ちょっと座ってください。あ、キッチン借りていいすか?」
「…いいけど」
綾世の背中を莉央が押して厨房の椅子に座らせ、そして莉央は鍋でお湯を沸かし始めると、持ってきた荷物を開けて何かを始めた。
飯の支度!?
「……何も食ってないでしょう?」
その通りなので綾世は無言だ。
だって別に食欲が湧かない。それはもう心に傷を負ってからずっとだ。
必要最小限しか食べてないかもしれない。
綾世は黙って莉央のする事を見ていた。
出したのはおにぎり?
でもそんなの食えそうにない、と思ってたらおにぎりを器に入れている。
「ウチだったらもう少し凝ったの出せるけど…どうぞ?ちゃんと噛んでくださいよ?」
温かい湯気の立ち上ったお茶漬け…?
「和食の方があっさりだから食えるでしょう?それとも人が作った物嫌ですか?」
「あ、いや…そんな事はない」
スプーンでおにぎりを崩してそっと掬って口に運んだ。
「だしは市販のですから」
言い訳のように莉央が仄かに耳を染めている。どうやら不本意らしい。
それに思わずくっと笑ってしまった。
「別に市販のが悪いとは言ってない」
「ちゃんと出汁もとれますよ!」
「だから別に…」
「そのうちちゃんとしたの作りますから!」
そのうちって…。
どうやら今日だけで終わりではないらしい。
確かに和食の方がほっとする。
優しい味だ。薄味の出汁に仄かな塩がきいている。
少しの塩昆布の所為か。
別に寒かったわけではないけれど温かい、と感じた。
寒いのは心が、か…?
視線を感じると莉央が心配そうな顔をしていた。
「…美味しいよ」
そう言うと莉央がにっこりと、でも少し照れたように笑った。
「いや…本当に…食欲なんか全然ないんだが…これなら食べられそうだ」
「よかったです。でも!こんなのは全然!握って市販の出汁入れてお湯かけただけですから料理じゃないです!今度鯛めしでも作って、出汁とって、鯛飯茶漬けにしてあげますから!」
「いや…別に…」
頼んでもいないし茶漬けである必要もないと思うけれど…。
そう思いながらも温かいそれをスプーンで少しずつ口に運ぶ。
身体に温かさが染み渡っていくように感じた。
身体の中に沈んでいた凍り滞っていた澱(おり)が溶け出していくかのようだ。
噛み締めながら一口一口を口に運び、気付けば食えない、と思ったそれを平らげていた。
「…わざわざすまなかった。ありがとう…。美味かった」
「よかったです」
莉央がにっと笑った。精悍な顔が少し崩れて見える。
「…しかしこれじゃ藪蛇だな…。莉央を使えなくなるじゃないか」
「だから!これは料理でもなんでもないです!俺の味付けでもないし!こんなんだと思われたら心外ですから!」
「自信あるんだ?」
「う…いや…そこまで、ではないです…けど。すぐ辞めちまったし…」
しどろもどろになる莉央に綾はぷっと笑った。
「綾世さんずるいっす。そんな綺麗なのに、そんな風に笑うんだから…」
莉央が困ったように頭を掻いた。
「さ、何すればいいすか?」
今言った言葉はなかったもののように莉央が腕をまくった。
綾世も聞かないふりをする。
危険だ。
そこは流せ。
「店のディスプレイをして欲しいんだ」
「了解っす。何処に何って決まってるんですか?」
「いや、小物は客席に置いてあるだろう?それを適当に飾っていってほしい。上の方の棚とか窓とか」
莉央を客席の方に連れて行って指差して指示する。小物は小さいワインのボトルだったり葡萄の置物とか色々。ただ適当に用意したものだった。
「センス…問われる、すね…」
「期待してる」
綾世はにっこりと微笑んだ。
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