洗い物を莉央が買って出て、綾世を先に風呂場に押し込んできた。
何となく夕飯を作らなかった方が洗い物担当という方式が出来そうな気がする。
でも本当にいいのだろうか…?
まだ心に不安は燻っている。
綾世が風呂を上がって莉央が入れ替わりで風呂に行く。
テレビがあるのはリビングだけなので自然に物音のするそっちに向かって行くと綾世はソファに片膝を抱えて座り込んだ。
別にテレビが見たいのではないけど。
莉央に話をしようか…?
どこから…?
テレビに視線を向けていたけれど全然見ていないでただぼうっと考えていた。
「…綾世さん?」
風呂を上がってきた莉央が声をかけてきたのにはっとした。
「あ?何?」
「何、じゃなくて。……どうかしましたか?何か心配事?」
「え?ああ…違う…」
綾世がぼうっとしていたのを莉央が心配そうに顔を覗き込んできた。
「…俺、無理ばっか言ってますか?」
莉央が綾世の隣に座って綾世をじっと見た。
綾世は小さく首を横に振った。
「いや、全然……」
むしろ綾世に都合のいい事ばかりを言っているんだ。
「……何から話したらいいかな、と思ってたんだ」
莉央はテレビのリモコンを持つとテレビを消した。
どうぞ?と言わんばかりに莉央は首を傾げる。
普段はいくらか上げている前髪が湿って下りているといつもよりも若く見えるのにくすっと笑みが漏れた。
そして綾世は顔を俯けた。
「……高校の時先生にヤられかけた事があったんだ…」
唐突に綾世は話を始めた。感情を交えずただ淡々と。
「その時には僕はもう女には欲情しないと分かってた…。でもだからってその先生を好きだったわけじゃない。結局は助かったけど、その先生が僕に誘われたって言い張って、それも結局最後にはその先生が精神的におかしくなってたんだと分かったけど…。それが分かるまでに僕はすっかり男を誘惑する奴に仕立てられてしまった。誘惑はしないけど、女がダメなのは本当だったから僕もなんとなく…」
綾世が言葉を切ると莉央がそっと綾世の腰に手を伸ばして身体を引き寄せた。
綾世はされるがまま身を莉央に任せる。
「高校を卒業して逃げるように実家を出て…田舎だったからね、人の噂がもう浸透して実家にはいられなくなったんだけど。料理するのが好きだったから専門に行って…イタリアンの道に進んで…」
ふっと綾世は息を吐き出す。
「あるイタリアンの店に入ってそこで学んで…。一緒に働いていた奴と意気投合していつか一緒に店をやろうと言ってた…」
莉央はただ黙って綾世の話を聞いていた。
どう思ってるのだろう?
恐くて莉央の顔は見られない。
「ただの友人のはずだった。そいつには彼女もいたし。…そしてやがて二人で店をやめて自分達で店を始めた」
莉央がぐっと力を入れて綾世の身体をさらに抱き寄せるようにしたのに綾世はされるがままにした。
「店がすごい流行って…まぁ、大変だった…。やがて忙しすぎて自分達で料理を作らなくなって、…僕はずっと次々メニュー考え。この間言ったのはここだ。…店舗も増やして。その間にそいつは彼女と結婚した。そこでもまだ一応友人だった。衝突はするようになっていたけどな…。本当は僕は自分で作って食べる人の反応が見たかった。そして奴は店を大きくしたかった。……合うはずないだろう?」
ふぅ、と綾世は大きく溜息を吐き出す。
「で、ぶつかったある日に…ヤられて……知ってるぞ、だって。男が好きなんだろう?って…。確かにそうだけど、誰でもじゃない。そいつに惹かれてたのはそうかもしれないけど…だからって僕はそうなるのを望んでたわけじゃない…。あとはもうなし崩しだった…。僕も…密かに望んでいたのか、それとも店が崩れるのが恐かったのか…ずっと拒めなくてずるずる、と…」
莉央の手にぐっと力が入ったのが分かった。
莉央の顔はどうしたって見られない。莉央がいる方とは反対の方に顔を背けた。
「…奴の奥さんが気付いて…僕は逃げた。もう何もかもがなくなった、と思って…。僕はしばらくは何も出来なかった。住んでたところは引き払い、しばらくあちこちぶらりと宛てもなく旅して見て回って…といってもほとんど目にはなんの景色も入ってなかったけど。あのピザ生地とパスタを作ってる工房に行って、やっぱり自分にはそれしかなくて…だからもう一度、自分で一からしてみようかと…」
「……それがあの店なんですね?」
「…そう」
莉央の声が温かい。
その声に今までの思いが溢れ出そうになって綾世の涙腺が緩んできた。視界がぼやけてくる。
莉央がそっと抱きしめてくれた。
「…全部出していいですよ?今までずっと一人で気を張って我慢してきたんでしょう?」
綾世は莉央の服をつかんで静かに嗚咽を漏らした。
誰も自分にそんな事言ってくれる人なんて今までいなかった。
テーマ : 自作BL小説
ジャンル : 小説・文学