莉央がそっと搬入口から入ってきたのが見えた。
搬入口はホールからは死角になっているので莉央の姿はホールからは見えてないはず。
莉央はしっ、と口に人差し指を当てて影に隠れてます、とジェスチャーで訴えるのに綾世はこくりと頷いた。
レジ締めの担当がお金を数えている音、その他のパートはテーブルを拭いたりテーブルの備品の確認などしている。
厨房のパートは今日はいいから、と目処がついたところで早めに帰していた。
問題のパートさんには朝出勤して来た時に今日ちょっと残って欲しいとは告げてある。
どうなんだろうか…?
綾世は落ち着かない気分で時間が過ぎるのを待った。
「川嶋さん。レジOKです。合ってました」
「ありがとうございます。じゃ今日もお疲れ様でした。あ、木村さん、ちょっと」
他のパート二人はお疲れ様でした、と普段通りに帰っていく。
木村さんは綾世と同じ位の年で既婚者、結婚したばかりでまだ子供がいない。大人しい感じで、生活に疲れている様子も見えないけれど…。
「なんでしょうか?」
どこかおどおどした態度。
落ち着かない視線。
やはりか、と綾世は溜息を吐き出した。
開き直っているような態度じゃない事が救いだった。
「……僕から言わなくても、僕が何故あなたに残って欲しいと言ったかもうご自分で分かっているでしょう?」
「な、なんの事でしょうか?」
さらに落ち着きがなくなって身体を揺らし始める。
「何故レジを担当制にしたか…」
「昨日は合ってました!その後合わないならランチでじゃなくてディナーの方ででしょう!?」
「……僕は昨日合ってなかったなんて一言も言ってませんけど?何故昨日合ってないのを知っているんですか?」
途端に木村さんが真っ青な顔色に変わった。
「そ、んな…だって…こうして、残された、から…」
「ですから。あなたじゃないならなんの事でしょう?って不思議に思うだけだと思いますけど?あなたは昨日合わなかった事を知っているんです。それを知っているのは店では僕とあなたしかいません。誰にも言ってませんから。……僕は警察沙汰になどしたくないですが」
「け、警察!?」
「そうでしょう?泥棒と一緒です。もしくは横領?窃盗?何に当たるか分かりませんが罪になる事ではあるはずですけど?」
「やめてくださいっ!!」
木村さんが顔を覆って泣き出した。
正直うんざりする。
「何の理由があったか知りませんが」
「そんなつもりじゃ…」
「つもりも何も事実ですから。………大人なんですからそんなつもりじゃ、なんて言い訳はやめてください。申し訳ありませんが明日からはもう来なくてよろしいので。それでいいですか?」
「け、警察に……?」
「ですから、僕は警察沙汰にしたくないと言っているんです。あなたに良心が残っているのなら、もしくは自分が許せないというなら、自分が盗った分は郵送でもなんでもしてください。僕はとにかくもう金輪際あなたを使う気はありませんので。……ああ、今日までの働きの分はちゃんと振り込んでおきますので心配なさらず。その後あなたがどうしようかなど僕は知りません。お疲れ様でした」
綾世は立ったまま傲然と言い放った。
木村さんは泣きながら自分の荷物を持って店から逃げるようにして走って出て行った。
はぁ、と大きな溜息を吐き出すと莉央がそっと物陰から出てくる。
「綾世さん…」
うな垂れる綾世を莉央が抱きしめてとんとんと背中を叩いてくれる。
「頑張りましたね。嫌な気分なんでしょう?」
「…嫌だよ。僕は一体何様だ?」
「店長様?一流シェフ様?オーナー様?社長様?」
莉央がふざけるのに綾世はぷっと吹き出した。
「…綾世さん!甘いですよ。不問なんて。俺なら働いた給料から差し引くって言うけど?」
「…だって働いた分は働いた分だろ?」
「あの人が盗んだのは綾世さんの働いた分ですよ!」
「…うん…だけど…」
莉央が呆れたようにして溜息を吐き出す。
「甘いです!……綾世さん、俺ここの店の顧問にしてください」
「顧問?」
「そう。給料はいらないです。俺の会社副業禁止ですから。名目だけ。そしたら今度また同じような事あったら俺が…」
「いいよ。そんなの…。大丈夫だ。莉央がこうしてくれてるならな…」
綾世は背伸びして莉央に軽く唇を重ねた。
「こんなんでいいならもう!いつだって!!!」
「ん…」
自分から、というのに慣れない綾世は耳まで熱く感じてしまう。
「耳、赤いすよ?」
「…だからいちいち言うなと言ってるっ」
くすくすと莉央が笑うので綾世の沈んだ気持ちが浮上してくる。
手軽だ、と自分でも呆れてしまった。
テーマ : 自作BL小説
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