ケーキの下ごしらえも終わってるし、料理の分の下ごしらえも終わった。
後は明日帰ってきてからちょっとすれば出来上がる。
…莉央は喜んでくれるだろうか…?
ちょっとどきどきして、わくわくもする。
まさか自分がこんな幸せな気分を味わえるなんて思ってもみなかった。
温泉も初めてでどきどきする。
莉央が車を出してくれる事になっていた。
本当に初めてばかり。
いかに自分が狭い世界にいたのかと綾世は再認識してしまう。
日曜日。
莉央の運転で温泉に向かった。
マンションではあまり莉央は煙草を吸わないけれど、車に乗っていると吸いたくなるらしい。
咥え煙草で運転するのにやはりちょっと落ち着かなくなる。
なんで普段と違うと何割増しかでかっこよく見えてしまうのか。
「……でも男二人で温泉って…どうなんだ?」
綾世が意識を莉央に向けないようにと思いながら尋ねると莉央がぷっとふき出した。
「今ソレ言うんですか?…だから離れになってるようなとこがいいって言ったんです。宿側にしたら客が入るだけでいいでしょう」
「…そんなもんか?」
「ですよ」
莉央もにこやかでご機嫌らしい。
本当は誕生日おめでとうと言いたいんだけど…。
我慢だ。
宿には車で2時間位かかるらしい。チェックアウトが3時だから帰って5時。ちょうどいい時間だ。
車は渋滞もなく順調。
天気は晴れ。
気分もうきうきと言っていいくらいで上々だ。
宿に着いた時に天気は晴れなのに雨がぱらついてきた。
狐の嫁入りか…。
山の方にある温泉街の奥にある宿で、狐の嫁入りが似合う。
くすと思わず綾世は笑みを漏らした。
宿は高級感あって立派な佇まい。離れは一つ一つが独立していてこれも風情があって雰囲気がある。
綾世は案内される時、きょろきょろと周りを見たい気持ちを抑えていたけれど、莉央は綾世を見て、笑いをかみ殺していたので莉央にはばればれだったらしい。
通された離れにはすでに昼の分の料理が用意されていた。
会席料理で数多い品数に、飾りが施され、ちょっとずつの料理が盛られている。
「先に食べるか?莉央腹へってるだろ?」
「いい、すか?腹へってます」
綾世は思わず笑う。
鍋物もあって火をつけてもらえば後はチェックアウトの時間までは二人きりだ。
マンションだと車の通る音とか色々な街の音がするけれど、ここにはそんな喧騒した音がない。
今は天気がいいのに雨がしとしとと降っている音。
山の凛とした透明な空気感に綾世は窓際にいって窓を開けてみた。
空気は冷たいけれど気持ちいい。
こんなゆったりとした開放感ある休日があるなんて。
莉央が綾世の隣にそっと立つ。
「あっ!」
二人で声が揃って顔を見合わせた。
山の中腹に虹がかかってきた。
段々と色濃くなってきてはっきりと見えてくる。
これはどんな意味だろう…?
綾世が考え込む。
別に今は悩んではいない。
何かを迷っているのでもない。
それなのに…?
やっぱり今までの虹も綾世が勝手に後押ししてくれたように感じていただけで、綾世に道を示してくれた訳ではないのだろう。
「……俺といるの、いいよって言ってくれてんの、かな…?」
「………」
綾世は綾世より背の高い莉央を上目遣いで見上げた。
「初めて会った日に虹出て…今度は初めてのデートで虹ですもん」
「デ、デ……?」
「でしょ?違う?」
莉央が意地悪そうに綾世を見る。
そうだ。…しかも今日は莉央は言わないけれど、莉央の誕生日なんだ。
特別な日、だから…?
そうだといい…。
「綾世さん」
莉央がそっと顔を斜めにして近づけてくる。
ゆっくり唇が重なる。
莉央…。
綾世は莉央の服をぎゅっと掴んだ。
啄ばむように何度も莉央がキスする。
「…んっ…!」
思わず鼻にかかった声が抜けると莉央が綾世の唇を解放した。
「……我慢できなくなるから、ダメ」
「莉央は腹へってるし、な?」
「そうですけど!もう…そうじゃないです。綾世さん、後で風呂一緒に入りましょうね~」
「………嫌だよ」
「なんでですか?結局、別にいいって言ったのにウチじゃ一緒に入ってくんないし!」
入るか!
「今日はだめです。ま、それは後で。虹も見られたし、今日はすごくいい日だ」
「ああ…」
それは確かにそうだ。
莉央が満面の笑みを浮かべている。
綾世も笑みを浮べてしっかりと頷いた。
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