「綾世さん」
店を閉めてマンションに帰る時、莉央が綾世を呼んで手を差し出してきた。
その手をぎゅっと握るのが憚れて莉央の指の薬指と小指だけをそっと握る。
すると莉央がまたくくっと笑う。
「ほんと、なんでそんな可愛い事ばっかするんすかね…。やっぱ29になるなんて嘘でしょ」
「……嘘じゃないし」
そんな事を言われたら顔が熱くなってくる。
慣れてないんだから仕方ないだろうが。
ちゃんと向き合って付き合うなんて初めての事なんだから。
そのまま誰とすれ違うわけでもなく莉央のマンションまで帰る。
もう12月で空気が冷たく、吐く息も白い。
それでも綾世の心は今まで生きてきた中で一番温かく感じた。
小さい頃から女の子に全然興味がなかった。
思春期になっても、同級生が性に興味を持って話す内容に全然惹かれなかった。そんな空気は周りにも分かってしまうみたいでいつの間にかアイツは男が好きなんだ、と影で噂されるようになった。
実際がそうだったので綾世は何も言えず、それが肯定していると捉えられる結果になっていった。さらに綾世の外見が中性的というのも拍車をかけて、あげくに男なら誰でもいい、とまで言われる事になってしまった。
田舎の小さい街。
誰もが綾世を汚らわしいものを見るような目で見た。
綾世は高校を終えて逃げるようにして家を出てそれ以来帰ってなどいない。
たまに母親は連絡をくれるけど探ったような会話しか出来ない。
息子がこうで申し訳ないとは思うけれど自分でだってどうしようもないのだ。
「綾世さん?どうかした?」
俯いて莉央の指を掴む手に力を入れると莉央が綾世の顔を覗きこんできた。
「……いや、なんでもない」
この手を離せない。
甘えきっているのは分かっている。莉央の負担になっているだろう事も。
でもこんな心が満たされる幸せなど初めての事でそれにどっぷりと浸かってしまっている。
「……すまない」
「何が?」
「いや…」
どうしたって負い目が浮かぶ。だって莉央はちゃんと女の子と付き合えるのに。
男を誘う、と何度言われたか…。
やっぱり自分が悪いのだろうか…?
自分にはそんな気などないのに何人にもそれは言われた。
違う。
誘ってなんかいない。
柾之に会った所為だろうか…どうしても気持ちが沈んでいく。
「綾世さん、メニュー試食の他に明日の予定は?」
マンションのエレベーターの中で莉央が笑みを浮べながら聞いてきた。 綾世が沈んでいるのを莉央は分かっている。
「あとは別にない、けど」
「ちょっと気分転換に食材以外の買い物にでかけましょうか?」
それもいいかもしれない。全然買い物になんて出かけてなかった。
こくりと綾世が頷くと莉央も表情を緩めて頷いた。
そしてちょっとしてから莉央がぷっと吹き出す。
何がおかしかったんだろう?
「すみません。なんか俺達の順番が滅茶苦茶だな、と思って。だって普通は好きになって告白してデートしてエッチして一緒に住む様になんだろうけど、俺ら反対なんすもん」
綾世はじとりと莉央を睨んだ。
「うん、分かってますよぉ。全部俺が仕掛けた事ですもん。もう絶対離せそうにないですけど…ごめんね?」
「……別に、莉央が謝る事なんて何もない」
「え?そう?」
莉央が綾世の耳にキスする。
「まだ外だ」
「誰もいませんよ?」
「監視カメラに映るだろう」
「そんなのいいですよ。映っても」
くすぐったい。
「……謝って欲しくない。むしろ謝らなきゃいけないのは僕の方なのに…。それでも、莉央といたいから僕だってこうしているんだ…」
「また、そんな煽るような事言うんだから…」
はぁ、と莉央が溜息をつく。
「…煽ってない」
「ですよねぇ。綾世さんは素で言ってるんですよねぇ。続きは後でベッドで聞かせて下さい」
かっと顔が熱くなる。
「…そ、んな…事言うなって言ってるのに…」
「だって照れる綾世さん可愛いから。つい言いたくなるんすもん」
エレベーターから降りて部屋に向かう間も莉央はずっと綾世の耳元で甘く囁く。
微かに耳に触れる莉央の唇が熱く感じる。
こんな事をされると綾世の身体がざわりと疼くのを知っているのか?
ちらっと莉央を見れば確信犯のように莉央がにっと笑みを浮べる。
……分かってやってるんだ。
綾世は莉央の指を思い切り力をこめてぎゅうっと握った。
「そんな事しても可愛いだけ、って言ってるのに」
くすくすと莉央が笑っている。
どうしても綾世の方が分が悪い。
テーマ : 自作BL小説
ジャンル : 小説・文学