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熱視線 即興曲~アンブロンプチュ~4

 「…お邪魔します」
 「おう」
 明羅はそろそろとベッドにあがった。
 客用の部屋も布団も何もなく、あるのは怜のでかいベッドだけらしい。
 「連れて来ておいてすまんな。客なんて想定していなかった」
 怜が苦笑していた。
 「しかし…」
 明羅の格好を見てふっと表情を緩ませるのに明羅はむっとする。
 口に出さなくても言いたい事は分かる。
 着替えもない明羅に怜は新しいボクサーパンツにTシャツとハーフパンツを貸してくれたのだがぶかぶかだった。
 「お前細っこいしサイズS?」
 「………」
 貸してもらったのはXL。そりゃぶかぶかもあたりまえだと思う。
 「どうせ誰も来ないからいいだろ」
 ぷぷっと笑われて明羅はそそくさとベッドに乗っかると端に寄った。

 テレビはなくて音は何もなくしんとしている。
 明羅もテレビの音は好きではないのでかえって落ち着いた。
 怜はベッドの上に胡坐をかいて座って楽譜を広げて眺めていた。
 何の楽譜だろう?
 見てもいいのだろうか?
 パデレフスキ版の楽譜…?
 ショパンか…?
 見てもいいのかな?と怜の顔を覗きこむとどうぞと言わんばかりに怜は顎を突き出した。
 明羅はうつ伏せになってそっとそれを覗いた。
 「アンブロンプチュ」
 「正解」
 「……どっかで弾くの?幻想?」
 「いや、眺めてるだけ」
 きっと頭の中で音は鳴っているんだ。

 明羅が怜の幻想即興曲を聴いたのは10年前だ。ショパンコンクールの名があってプログラムがオールショパンだったから。
 あの時は17歳。今のこの人の幻想はどんななのか。
 やはりどうしたって聴きたくなる。
 「…覚えてるんだ?」
 明羅の反応を見ていたらしい怜がぼそりと呟いた。
 「…覚えてる」
 「…弾いてやろう」
 そして明羅が思っている事をきっと察したのだろう。
 明羅は小さく頷いた。
 追い求めてきた音が目の前にある。

 「………贅沢だ」
 思わず明羅が漏らすと怜はくっと笑った。
 「どうだかな。幻滅するかもしれないだろ?」
 「……それはないと思う」
 だって毎年それを期待し、恐れてコンサート会場に足を運んでいたのに毎年、年々凄さを増していくだけだった。
 明羅がどう思っていたかなんて怜は知らないだろう。
 「何でもいいんだ…。クラシックでも、ジャズでも…」
 明羅の頭には今日聴いた怜の音が鳴り響いていた。

 「そういや、今日の中でよかったのは?」
 「…全部。でも一番はプロコ、かな…」
 「ああ。俺もプロコフィエフは自分でも出来はよかったと思った」
 戦争ソナタと言われる中の第7番。
 「…じゃあ一番ダメなのは?」
 「だめじゃないけど…愛の夢。愛がなかった」 
 ぶぶっと怜は噴き出した。
 「まさしく。俺も同意見だ」
 弾いた本人が何を言うか。
 「だから俺も愛の夢は嫌だと言ったんだが」
 「いや、よかったよ!よかったけど…」
 明羅は慌てた。何を大層に言っているだと。あれだって明羅にはとても出せる音じゃないのだ。

 「分かってる」
 怜は慌てる明羅の頭を撫でてきた。そして笑っている。
 明羅の言いたい事が分かっているらしい。
 「…やっぱりいいな。お前」
 何がいいのだろうか?
 「あとは?気付いたことは?」
 「………メフィストフェレスの途中で…」
 長い大曲だ。その途中で何となく気が抜けたようなところがあった。
 すると怜は鼻を掻きながら苦笑した。
 「………よく分かるな。あれはくしゃみが出そうになったんだ」
 くしゃみ!?
 明羅は大きく目を瞠って怜を見つめた。
 「ああ。困ったが引っ込んでくれたからよかった」 

 くしゃみ…
 明羅は声を立てて笑った。
 「…出なくてよかった」
 「………まったくだ」
 怜の手がまだ明羅の頭の上にあった。

 明羅の欲しい手。音を出す手。
 明羅はそっとその手を取ってまじまじと眺めた。
 自分の白い細い手と全然違う大きな節ばった手。
 それなのに繊細な音を奏でる指。
 この手が欲しい。
 でもきっとこの手を明羅が持っていたとしても決して同じ音なんて出ないのだ。
 あれは怜が弾いて、怜の手だから出る音。
 ああ、もうだめだ。
 きっと今こうしていなかったら来年はもうコンサートに行っていなかったかもしれない。
 でもこうして目の前にいる。手に触れる。
 そしてきっとすぐに音を聴かせてもらえる。
 そうしたらもう二度と二階堂 怜から離れられないかもしれない。
 明羅は確信した。
 
  

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