千尋先輩が戻ってこない。
もう演奏が始まるのに。
でも席から動くなって言われていたし、岳斗が探しに行こうとしたってこんなに広い会場じゃきっと迷子になってしまう。
落ち着かない気持ちのまま周りをきょろきょろと見回すけれどやっぱり千尋先輩は帰ってこなくて、そのうち客席の照明が落ちた。
「今宵はクリスマスイヴ。どうぞ素敵なライブをお楽しみください!」
うわ~~、もうはいってるよぉ…。そのうち帰ってくるかな…?
千尋先輩なら暗くてもきっと席分かるよね?
岳斗は出入り口の方を気にして見ていた。
「では今宵のトップはエール・ダンジュ!」
ヴン、とベースのグリッサンドの音。
ギター、ドラム、シンセまでいる…。
出入り口を気にしてステージじゃなくて後ろを見ていた岳斗はゆっくりとステージに目を向けた。
この音、この音……っ!
ステージに千尋先輩が立っていた!
嘘ぉっっ!!!
もうその姿を見ただけで岳斗は涙がぶわっと上がってきた。
そして千尋先輩が岳斗を見てふっと笑みを浮べる。
千尋先輩のベースっ!!!
だぁっと涙が零れるのを一所懸命に拭った。涙を止めないと姿をちゃんと見られない!
千尋先輩がライブで演奏するとこなんて見られるのもっとずっと先だと思ってたのに!
1曲目は激しいロック調。
ベースの音が前よりもさらにキレキレになってる。
ぞくぞくと鳥肌が岳斗の全身を包んでいく。
そしてギターもドラムもシンセもボーカルも全部イイ!
しっくりきている!
上手いっ!
でもやっぱり岳斗が見てるのは千尋先輩だけ。
1曲目を終えてボーカルがエール・ダンジュは結成したばかり、とか今日が初めてのライブとか、言っているのが聞こえてきたけれど、岳斗の目は千尋先輩に釘付けだ。
かっけぇえよぉおお……
これの為に岳斗を連れて来てくれたんだ!
コレをずっと内緒にしてたんだ!
言ってくれれば心の準備してたのに!
もう心臓が壊れそうな位にドキドキしている。
そして2曲目。
2曲目もアップテンポでベースが裏拍を刻んでいる。
そしてスライドでヴンヴン移動して、千尋先輩が気持ちよさそうに弾いている。
相変わらず派手なアクションはないけど、でもやっぱり目が離せない。
頭を振って髪を払う。
撫でる様に滑らかにネック上を動く指。
うっすらと笑みを浮べながら。
響く重低音の音。余計な音が入らない綺麗な音。
お腹にズンと響く音。
遠藤さん聴いてるかなぁ?
これが千尋先輩のベースなんだ!いいでしょ!?
千尋先輩の胸の十字架が揺れている。
バンドを始めた時にって言った十字架。
でも千尋先輩の一歩が今始まったんだ!
その場に岳斗を呼んでくれたんだ。
嬉しくてどうしても岳斗の目が潤んできてしまう。
一瞬たりとも気が抜けない、瞬きもしたくない。
なんでこんなに惹かれるんだろう。
千尋先輩の額に汗がじんわりと滲んでいる。
低い位置に構える千尋先輩のベースを弾く姿。
満足そうに笑みを浮べて、愛撫するかのように長い指が動いている。
あの指がどう動くか岳斗はもう知っている。
か~~~っと身体が火照ってきてしまう。
だって、だって…。
岳斗の中に入ってるときの指の動きとかも鮮明に思い出されてきて身体が疼いてきた。
やめて~~~!
…と言いたくなる位にエロく見えるのは岳斗だけなのだろうか?
カッコイイ曲、ノリがいい曲。どれも聞いた事のない曲ばかりだ。
全部千尋先輩…?
分からないけれど、もう頭がいっぱいで訳が分からない。
千尋先輩と視線が絡まる。もうそれだけで夢のようで…。
「次はラスト!クリスマスに相応しい曲」
え!もう最後!?早いよ!もっと!もっと!
「キミに捧ぐ」
カツカツとドラムのカウントからギター、ベース、シンセ、が一緒に入る。
こ、これっ……!
岳斗のCDには千尋先輩のギターのコード弾きで、千尋先輩の声で入ってた曲だ!
いつも我儘ばかり
いつも泣かせてばかり
ごめん…でも、愛してる…
きゃぁ~~~~~……
岳斗は悲鳴をあげたくなる。
離れててもいつも考えてるから
会えなくてもいつも思っているから…
会いに来て 会いに行く
いつでも心はキミの傍に…
ひ~~~…と岳斗は真っ赤になって曲を聴いていた。
そして間奏でまた驚く。
ベースのソロだった。
優しい音、抱くように、抱かれるように…。
弾き方も音も。
千尋先輩~~~~…
羽が…翼に新しい羽が…輝いてる羽が見えるよ…。
岳斗はもう涙を拭えなかった。
テーマ : BL小説
ジャンル : 小説・文学