東京でアパートを借りて色々な物を揃えるのには千尋先輩の叔父さんが力になってくれたらしい。
保証人とかも。
いつか、両親とも普通になれるといいな、と岳斗はいつも思う。
千尋先輩はバイクで行ったり来たり。
アパートの手続きはしているけど住むのはまだ、で泊めてもらうのはやっぱり文句を言いながらギターの人の所らしい。
エール・ダンジュ ailes d’ange フランス語で<天使の翼>。
千尋先輩のバンド名を思い浮かべればそれだけで岳斗は悶えそうになる。
岳斗の勝手なイメージでついたといっていい位だ。
それを千尋先輩も大事に思っていてくれた事が嬉しくて。
もう大事な事ばかり、大事な物ばかりが増えていく。
春休み中なので指に嵌めているリング。
千尋先輩が学校で岳斗にしてみせてたように岳斗もそっとリングにキスした。
左手の薬指の意味は知っているだろうけど、母親はそれを見ても何も言わない。
知っているのかもしれないとも思う。
千尋先輩の所に行ってくるといえば帰ってくるの?と普通に聞いてくるし。
考えれば今までカッコイイ先輩とかの話しをした事があってもカワイイ女の子の話なんか一回もした事なかったんだから気付いているのかもしれないと思う。
でも岳斗だって自分からは言わない。言われても困るだけだろう。
そして千尋先輩の出発の日が近づいてくる。
泊りがけで2日は遊びに行ってくる、と母親には前から言っておいた。
千尋先輩との最後の日。
そして3日に見送るんだ。
笑って。絶対に。
そしてプレゼントは安っちいけどやっぱり放置されてたTシャツにする。
思えばもう10ヶ月近くも放置だ。
部屋の片隅に置かれたソレ。
それをリュックに詰めて迎えに来てくれた千尋先輩のバイクの後ろに乗った。
冬はずっと千尋先輩のMA-1を着ていた。
ぶかぶかのMA-1。
もう千尋先輩の匂いはなくなってしまったけれど、でも千尋先輩のもの。
携帯の中の千尋先輩の声も写メも指輪もボタンも全部千尋先輩に関するモノは宝物だ。
「どこ行くの?」
「まだちょっと寒いけど海?夏は死にそうな位暑かったからな」
信号で止まった時に大きな声で会話する。
もう慣れた千尋先輩のバイクの後ろ。
カーブを曲がる時は千尋先輩の体重の移動に合わせてちょっとだけ岳斗も同じ方に体重を移動する。
一番初めに乗った時は足がもつれそうになった位だったのに…。
くすっと自分でも笑ってしまう。
ベルトに掴まりながらその広い背中にぴたりとくっ付いた。
毎日のように乗せてもらったバイク。
しばらくはもう乗られないだろう。
そして今日明日で千尋先輩は東京に行ってしまうんだ。
それを思うと岳斗の心臓はぎゅっと苦しくなる。
どれもこれも愛しくて、そして寂しい。
温もりも声もキスも全部が遠くなってしまうんだから。
夏の暑かった日に止まった同じ場所で海を眺める。
人影のいない海だ。
夏にはひとがいっぱいいるのに今はいない。
「泊まるってどこに?」
「安いホテル」
「え!ダメだよ!」
お金、いくらあっても足りない位なのに!
「いい。気にするな。…親いるのにお前の声上げさせるわけにいかねぇし」
かっと岳斗が赤くなる。
「俺も我慢なんねぇだろうしな…。お前にはいつも遊びにも連れて行かれないし、我慢ばっかさせて…こっちで最後ん時位はな、いくらかは」
「だって!千尋先輩の誕生日なのに」
「俺にとってはそこは全然重要じゃねぇから」
くしゃっと岳斗の頭を撫でる。
「出かけるっつってもこうしてただ海眺めてるだけだし?」
「ううん…前にも言ったけど、千尋先輩といられるだけで俺いいもん」
誰もいないから千尋先輩の腕にしがみついた。
誰もいない所がいい。
手を繋いでもこうしてくっ付いても平気なところが。
人がいっぱいいれば千尋先輩は目を引くし、一緒にいる岳斗にはなにこの子?みたいな目で見られるんだ。
そんなの岳斗は別にいいけど、千尋先輩が恥ずかしいよな、と思う。
それでも今はいい。
もし千尋先輩がメジャーデビューして有名になったら?
少しでも千尋先輩の近くの位置に立っていたい。
そんな事思うのだって本当はおこがましいとは思うけれど、その為にも自分も頑張ろうと思う。
「千尋先輩…俺もがんばるねっ」
「ああ」
煙草を咥えた千尋先輩がにっと笑った。
テーマ : 自作BL小説
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