『ちょっと忙しくなりそうなんだ』
「え?」
そう千尋先輩に言われたのは6月に入ってからだった。
『お前一番初めに…クリスマスのライブの時に遠藤さんに俺のベースって話したって言っただろ?』
「うん」
『あれで遠藤さんが俺のベース気に入ってくれたらしくて…それにバンドも。ライブでベースを探してるアーティストに紹介してくれて…そのライブの前座もする事になった』
「ええっ!マジで!?凄いっ!」
『お前が言ってくれたからだ』
「違うよ!俺が言わなくたって千尋先輩のベースはきっと聴く人が聴けば分かるんだよ!凄いって!!!」
凄い!やっぱ千尋先輩は凄い!
思わず岳斗は飛び跳ねたくなった。
でもここは屋上で、誰かに見られたらいけないので我慢するけど…。
『ベースでギャラも出るんだ』
「うん!千尋先輩…プロの仲間入りだね!……GWのライブでももうエール・ダンジュにファンいるみたいだし…Linxよりきっともっと凄いことになっちゃいそう…すぐ千尋先輩、有名になっちゃいそうだもん…」
なんかそうしたらますます遠くに行ってしまいそうだ…。今だって離れてるのに…。
嬉しい事のはずなのに思わず岳斗の胸は苦しくなる。
『当分はライブハウスで働くよりそっち優先する事になる』
「そうだよ!だってライブハウスで働くのが目的じゃないんだから!」
『ああ。前座も、って事で練習もしなきゃないし』
「そうだね!千尋先輩、応援してるから!千尋先輩は絶対大丈夫!…俺嬉しい!」
『岳斗…サンキュ』
岳斗なんて何にもしてないのに!
『電話とかメールはしていいから。時間あれば出られるし。お前からないほうが俺も気になる。俺も時間見つけてかける』
「……うん」
電話とかしない方いいのかな、と思った矢先にそんな事を言われて岳斗は思わず笑みが出る。
でもそうすると6月に行くのは無理かな…?
そこはしゅんとしてしまう。
行っても千尋先輩と会えないんじゃ意味ないし…。
忙しいところに行って邪魔もしたくない。岳斗が我慢すればいい事だ。
『じゃ、今から俺もバンド練習行くから』
「うん!千尋先輩…………頑張ってね!」
『…ああ』
ふっ、と千尋先輩が笑ったのが分かった。その表情が目に浮かぶ。
電話が切れるのが切ない。
繋がってる時は心がほっこりするのに、切れた途端に不安が横切っていってしまうんだ。いつもいつも。
何してるんだろう?何食べてるんだろう?今はお仕事かな?ベース弾いてる?まだ寝てる?
そんな事ばっかり考えてしまう。
千尋先輩は前に進んでいるのに岳斗だけが取り残されているようだ。
まだ高校生で自由にならないんだから仕方ないけれど。
確実に千尋先輩は走り出した、と岳斗は思ってしまう。
きっときっと翼をもっと広げ始めてる。
でも岳斗は?
思わず顔を俯けてしまった。
そして頭をぶる、と振って頬をぱん、と叩くとそっと屋上を後にした。
電話をするけれど繋がらない事が多くなって、メールをしても返ってくるのがかなり遅くて…。
大変なんだろうな、とは思うけれど、寂しさが募っていく。
夜中でもいいから千尋先輩の声が聞きたいのに千尋先輩は夜中だと電話じゃなくてメールしか入れてくれない。
岳斗の寝ているのを起こしたくないから、と。
一度寝ちゃうとがっつり寝てしまう岳斗は短いメールの受信音位じゃ起きなくて朝起きてメールが入ってるのに嬉しく思いながら寂しくなっちゃうんだ。
携帯に入ってる千尋先輩の声を再生して気を紛らわせる。
岳斗の声も千尋先輩の携帯に入ってる。
千尋先輩も聞いてくれているのだろうか…?
<岳斗…頑張れ>
<岳斗…誕生日おめでとう>
携帯を耳にあて一日に何回も聞く。
岳斗の学校のお昼休みに必ず電話は入れる。
でもここの所は全然繋がらなくて…。お昼休みに電話を入れる事は分かっているのに出られないくらいなんだから忙しいって事だ。
それでも一応は入れてみる。
コール音が止まったのに岳斗の心臓がどきんとした。
「千尋先輩!?」
『残念~~~!違いました~~~!岳斗クンでしょ?千尋今来るから!』
…女の人の声。バンドのキーボードの人?名前なんだっけ?クリスマスの時に紹介されたけど…。
千尋先輩の携帯に出る…なんて…。
ずきんと岳斗の心が嫌な音を立てた。
『なに人の携帯に出てる!』
『出てあげてたんでしょ!』
携帯の向こうで声がする。
岳斗は全然会えないのに…。
『岳斗』
千尋先輩の声にほっと岳斗は安心した。
テーマ : BL小説
ジャンル : 小説・文学