「千尋、ちょっと」
遠藤さんが千尋先輩を呼んでいた。
「?」
「お前、昨日リハだめだったのコイツのせいか?」
ごつっと岳斗は頭を遠藤さんに小突かれた。
「ええ、そうです」
千尋先輩が平然として肯定してるのに岳斗の方がわたわたと慌てる。
「…だよなぁ…」
がりがりと遠藤さんが頭を掻いた。
「じゃあ千尋がいる時はこいつは使えねぇって事か?」
「……いえ、多分そこまで、ではない、と思う…んですけど」
千尋先輩は岳斗を見て自信なさげに言った。
「ほんとかぁ?今日は曲少ねぇし、こいつ使えなくてもまぁいいけど。エール・ダンジュの時はだめだぞ?こいつが必要だ」
「…ええ。いや、多分大丈夫、です」
「岳斗…問題はお前だな。いっつもいっつも千尋しか見えてねぇけど仕事できんのかぁ?エール・ダンジュの時はPA操作あんぞ?」
「ちゃんとする!…します、です…」
多分…。
本当かぁ?と胡乱な表情で遠藤さんが見ていた。
「ったく!初めの時から全然変わらねぇなお前は!目輝かせて千尋先輩は!千尋先輩が!ってさ!」
か~っと岳斗は顔を赤くした。
「…昨日みたいなヘボな演奏だったらエール・ダンジュ断んぞ?」
遠藤さんが千尋先輩を睨むようにして言ったけど千尋先輩は怯む事もない。
「それはないので」
千尋先輩は満足そうに笑みを浮べていた。
「…ならいいけど」
遠藤さんは毒気を抜かれ、呆れた顔をしている。
「オメーもちゃんと千尋見ながら仕事しろ!」
「はい」
岳斗は小さくなって返事して、そして下から伺う様に千尋先輩を見上げると千尋先輩が岳斗をじっと見ていた。
ついと頬を撫でられる。
「じゃ、行ってくる」
「うん!いってらっしゃい!千尋先輩、頑張ってね!」
「ああ」
けっ、と遠藤さんが舌打ちしていた。
「本当にお前は…」
「はい?」
「ああ、いや、いいや…。とにかく千尋の出来はお前にかかってるらしいから、ちゃんとそれもどうにかしろ」
「…ええと…はい」
遠藤さんにはなんでもお見通しらしい。
耳がよすぎるって大変かも…。
ライブは無事終了。千尋先輩もいつもと同じくいい音のベース。
でもやっぱり岳斗にしたらなんとなく違う、と思ってしまう。
千尋先輩の曲で千尋先輩のベースなのに。
だって千尋先輩のバンドじゃないから…。
それでもやっぱり千尋先輩はかっこよくて、でもちゃんとインカムから指示も聞こえたし、どうにか意識を保っていられる事が分かったのに岳斗は自分でもほっとしてしまった。
新人クンとの事はもう気にならなかった。
リハの時は岳斗は顔を俯けていて気づかなかったけれど、常に千尋先輩の視線が岳斗の姿を捉えているのが分かった。
岳斗も仕事をこなしながら千尋先輩をずっと見ている。
ああ、同じ空気にいるんだ、と実感出来た。
自分で言ったじゃないか!同じ空間にいたいのだと。
ただ見ているだけじゃない。千尋先輩は演じる側、岳斗は演じるのを見せる側。ただ見てる側よりもやはり近い距離だ。
「千尋先輩~~!ただいま~~~」
帰ってきて早々にマンションの一室の作曲部屋に籠もっていたらしい千尋先輩の所に岳斗はライブの搬出、片付けを終えて帰宅すると顔を出した。
「おかえり」
「えへへ…」
椅子に座ってた千尋先輩の膝の上に岳斗は乗っかって抱きついた。
「かっけぇかった…」
やっぱりベース弾いてる所好きだ~、と思ってしまう。
千尋先輩がくすと笑って岳斗の髪を撫で軽くキスした。
壁には岳斗の買った十字架に翼の描かれたTシャツが飾られている。
ここに引っ越して来た時にそれしまってていいよ、と言ったけれどこれが初心で千尋先輩の精神の解放だったから、と未だに飾られている。
「…作曲…?もう?今度は誰の…?」
「……エール・ダンジュのだ」
「え!!!まじで!?」
「ああ…。深尾とももうそろそろいいだろうって。……バカにされたけどな」
「え?なんで?」
「だって昨日岳斗がエール・ダンジュ聴きたいって言っただろ?」
「…え?それで復活…すんの…?」
「だってお前は特別だからな」
ふっと千尋先輩が笑う。
「…特別?」
「…お前はエール・ダンジュの名付け親みたいなもんだろ?」
「…そう?」
「だろ?」
千尋先輩が唇を半分開きながら顔を斜めに近づけてくる。
長い睫毛…高い鼻…凛々しい眉。
どれもかっけぇよ…。
岳斗の大好きな人。
幸せすぎる…。
熱に浮かされたようにいつまでもキスを繰り返した。
テーマ : 自作BL小説
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