「少しましになっただろ」
確かに最初よりはいくらか進むようになった。
「少し休むか」
「うん」
プールから上がって理人から借りた大きめのバスタオルを肩にかけて用意されている椅子に座る。
「ちょっと待ってろ」
理人がそう言っていなくなると知らない場所に取り残された気分でどうも心許ない気がする。
近所の市民プールならわかるけど、スポーツクラブなんて桜には縁のない世界だ。
でも人は結構出たり入ったりしているのでそこまで敷居が高いわけじゃないのかな?と思いながらも、でも普通の高校生じゃ考えられない事だ。
「君一人なの?」
また声をかけられる。
はぁ、と桜は溜息を吐き出した。
「俺、男だけど?ついでに連れもいる」
声をかけてきたのはまだ若い。20代前半くらい?身体も濡れてないし着たばかりらしい。
「男?またまた…」
「ホントだけど」
バスタオルにすっぽりと包まるようにして膝を抱えて座っていたために余計紛らわしかったらしい。
「桜?どうかしたのか?知り合い?」
理人が帰ってきた。手にはスポーツドリンクを持っていた。わざわざ買いに行ってくれてたらしい。
「ううん。なんでもないよ」
チッとまた舌打ちされる。
テメーが勝手に間違ったんだろうが!
べぇっと桜がヤローの背中に向かって舌を出す。
「…桜?」
「ん?何?」
「…今のヤツは?」
「知らないナンパヤロー。女だと思ったらしい」
理人の顔がまた険しくなった。
「理人?」
「あ、…ほら、飲め。ちょっと休んでもう一回な。お前飲み込みは悪くないからすぐ綺麗に泳げるようになると思うぞ?」
理人からスポーツドリンクを受け取りながらぱっと桜は顔を輝かせた。
「え!?ホントっ!?マジ!?嬉しいっ!あ、ありがとうございます…」
「今すぐには無理でも、何回かくればそれなりになる。…お前運動神経悪くないだろ?」
「悪くないよ!」
泳ぎは苦手、と思ってたけど、あんな綺麗な泳ぎ方する理人にそんな事言われたらちょっと自信が持ててくる。
「理人みたいになる?」
「……いや、いくらなんでもそれは…。お前、一体俺が何年やってきたと思ってんだよ」
呆れたようにして理人が苦笑する。
「そうだな…あれ、あそこ、3コース目泳いでるクロールの、あれ位までなら簡単にいけるかもな」
「マジっ!?」
理人が指差す人は桜から見たら綺麗に泳いでる人だ。
あんなに?
自分のあの溺れそうな泳ぎ方があれ位になるの?
思わず期待の目で理人を見ると理人が笑った。
「じゃあ毎週来るか?そうだな…じゃあ交換条件でご飯作ってくれれば」
「そんなの全然OKだよっ」
「お?じゃあ取引成立な?」
にっと笑って理人と顔をつき合わせた。
そんなの嬉しい交換条件でしかない!
大見得きって理人の家にいけるんだから!
唯一苦手なスポーツといっていい水泳がどうにかなるなんて思ってもみなかった。
桜はぐいとスポーツドリンクを煽った。
「も一回する!教えてください!」
俄然やる気が出てきた。
負けず嫌いの桜は自分に出来ない事があるのがとっても嫌だったのだ。
よし!これで夏はプールに遊びにいける!
ふふふ…と思わず笑いがもれる。
いつも黒田にバカにされてたけど今度はされないはず!
「…やる気満々だな?」
「当然っ!上手くなれるなら頑張るっ!」
理人がまた笑ってた。
それからも理人が付きっ切りで教えてくれて最初とは比べ物にならない位スマートになってると思う。
…自分では見えないけれど。でも泳げる距離が伸びた。
「今日はこれ位にしとくか?」
「うん。あ、理人は足らないでしょ?俺、座って見てるから行ってきていいよ?」
「いや、でも」
「いいから!理人の綺麗な泳ぎ方見たい!イメージトレーニングするから!」
イメージトレーニングは絶対大事!
「…大丈夫か?」
「水の中じゃないなら平気」
理人が心配そうに桜を見て周囲を見渡す。
「じゃあちょっとだけ…1往復だけ行ってくる」
「え?もっといいよ?だってきっと理人いつももっといっぱい泳いでるでしょ?俺、理人の邪魔しちゃったし、いいよ?」
「邪魔じゃねぇよ」
くすと理人が笑って大きめのバスタオルを桜の頭から被せた。
「心配だから頭から被ってろ」
「………分かった」
心配だから、なんて言われたら言う通りにするしかないじゃないか。
ちょっと赤くなってしまった顔を隠すのにも丁度良かったけど…。
テーマ : 自作BL小説
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