しばらく理人は桜が泣き止んでも、落ち着くまでずっとそうしてくれた。
なんか照れるし恥ずかしい。
今まで泣いた顔なんて誰にも見せたことないのに。
いや、一度だけ知らない人にあるか…。
あれも父親が亡くなった時だ。
でもあれは知らない人だからカウントしないで。
「……きっと、治療の時の情けないトコ理人が知ってるからだ…」
「うん?」
伸びてしまった蕎麦を食べながら桜が呟いた。
理人も同じく蕎麦の残りを食べていた。
「俺、誰の前でも泣いた事なんてねぇのに!歯痛くて、治療の時に理人の前で泣いてるから!だからだ!きっと!」
理人が桜をじっと見ていた。
「誰の前でも?」
「ないよ」
「…あの、小学校から一緒だっていう友達の前でも?」
「ない。あ、正確には一人だけいる。でも俺も知らない人だ。小さい時、父親が亡くなった時だから、よく覚えてもない。それ抜かしたらホント理人だけだ」
「じゃ、桜が泣きたくなったらいつでも来ていいぞ?」
……なんで理人はそんな事言うんだろう?
そんな事言われたら特別だと期待したくなるじゃないか。
「冷凍庫に焼いたハンバーグも入ってるから!冷蔵庫で解凍してチンすればいいでしょ?他のも同じ。小分けして入ってるから」
「桜クン……お前、ホントいい嫁になれると思うけど?」
「嫁にはなれない!」
理人が貰ってくれるならなる!…とはいくら桜でも言えない…。
それにしたって桜は理人に好き、ってコクったのにこの言い方はどうかと思うんだけど?
本当に全然理人は桜の事なんて何とも思っていません、と言っているようなものだ。
理人の言葉に浮上したり撃沈したりかなり気持ちの浮き沈みが激しい。
つい恨めしくなって桜は理人を睨んでしまう。
「あ、あと桜、ウチの鍵、持ってていいぞ?どうせ今ん所お前以外誰も来ないし、木曜の午後は俺いるけど、それ以外来る時勝手に入ってていいから」
「…え?」
「ほら、土曜日も。プール行くだろ?俺、午前は診療あるからいちいち玄関開けてやれないから、勝手に入って待ってていい」
「…………いいの…?」
「いいよ」
軽く理人が答えるのに桜はまた顔が緩んでしまう。
いつでも来ていいって事…?
もう、ホントこれだけで桜の気持ちはふわふわ舞い上がってしまう。
理人は分かってんのかな?分かってねぇのかな?
でももうどっちだっていいや。
理人がいいなら桜が断るはずはない。
「…じゃ、毎日きちゃうよ…?」
「べつにいいぞ?あ、飯の支度はしなくたって構わないからな?そんなんされたら俺お前に返しきれなくなるから」
「…別にいいし」
返してもらいたくてしてるんじゃねぇもん。
理人が美味いって言ってくれればそれでいいんだ…。
「明日の朝ごはんはこれな?お昼は…」
冷蔵庫を指差しながら理人に説明する。
なんか帰りたくなくて…いや違う、帰りたくないわけじゃなくて、理人と離れたくなくて…だ、何度も説明してしまう。
「分かったって!心配性だな」
理人が苦笑していた。
「……俺、ホントに毎日来ちゃうよ…?」
「来たっていいけど。ウチ来たってなんも桜が楽しい事なんてないのに」
くくっと理人が笑ってた。
「…ほら、じゃ送ってく」
「………ん」
着替えを入れてきたバッグを桜が持とうとしたら理人がひょいと横から手を出して持ち上げた。
女の子じゃないのに。
多分無意識なんだ。
理人は桜の方を気にする様子もなくそれが自然の事という態度だ。
普通だったら女じゃない、って桜は怒りたくなるはずなのにどうしたって理人が相手だとそう思わない。
歩いて5分の所を並んで歩く。
もう外は暗くなっていた。いつまでもぐだぐだと桜が理人の家を出たがらなかった結果だ。
別に今日で最後、というわけでもないのにやけに寂しく感じてしまうのに自分でもバカみたいだ、と思ってしまうけど。
歩いて5分の距離はあっという間だ。
玄関先で理人が母親に挨拶するのがスゴイ変な感じがしてなんとなく落ち着かない気分。
では、と理人が帰ろうとするのにほっとして桜も理人について玄関から外に出た。
「お前は入ってろ。送ってきた意味ないだろ」
「うん…そうだけど……」
じっと理人を見上げた。
キスしたい…。
またそう思ってしまった。
すると理人が桜の頬を手の甲で撫でたのに心臓が苦しくなる。
「…おやすみ」
「うん…おやすみなさい。理人、ありがとう」
「礼を言うのは俺のほうだ。世話してもらったの俺の方だからな」
理人がおどけて肩を竦ませながら言ったのに桜が笑った。
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