尚が帰ってはぁ、と遥冬は溜息を吐き出し、とさっとソファに腰かけた。
なんで自分からよるか、なんて声をかけてしまったのか。
尚が詮索好きだったら勿論声なんてかけない。
きっとこの住んでるマンションにだって疑問を感じただろうに尚は何も聞かなかった。
そこにほっとする。
大学に入っても、誰とも仲良くなんてするつもりなど毛頭なかったのにどこにいっても目立つ尚と一緒になって、確かめれば授業のほとんどが被るという事態になんとなく一緒にいるようになってしまったけど。
尚はもてる。
男にも女にもひっきりなしに声がかかって。
…それも分かる。
雑誌に出てくるモデルみたいだ。
さすが遥冬の育った田舎なんかとは違う、と思う。
それなのに気さくだし、話しやすい、のだろう。
自分から誰かに話しかけるなんてあまりした事のない遥冬が自分のマンションによるか、なんて言う位なのだから。
その尚と一緒にいる事が多くなって目立つ、とは思っていたけれど、こんな早々にもうこういう事態になるとは思ってもみなかった。
いずれはそうなるだろう、とは思ってはいたけれど。
はぁ、ともう一度息を吐き出し、遥冬はソファに背を預けて上を仰いだ。
小さなテーブルに並んだコーヒーカップが二つ。
初めてここに人を入れた。
しかも自分から。
…自分にしたらすごい画期的なことだ、とふっと遥冬は口端を緩めた。
不思議なヤツ。
尚みたいなヤツは今までで初めてだ。
バイトも思わず尚に聞いてみていた。
自分に合うようなバイトなんてあるのか、とどうしたって自分に愛想なんて欠片もない事は自覚していたのでバイトなんて、と思っていたのだが、あっさり尚はそれもクリアしていった。
たまに尚と多分高校の同級生だろう、との会話の中に出てくる<チヒロ>という名前の人物も尚とバンドを一緒に組んでた男なのかと初めて分かった。
あらたに<やまと>という名前も出てきたけど、これはどうやったって男の名前だ。
でも尚が<やまと>と言った時の顔と声の調子がいつもと違うような気がした。
気のせいだ。
いや、違っていたとしたって別に遥冬には何も関係ない。
そういえば明日履歴書を、と言われたのだ。
…どこで売ってるんだ?
しまった。尚に聞けばよかったか?
…馬鹿にされるか?
遥冬が眉根を寄せて考え込んでいるその時にちょうど携帯がなった。
「……もしもし。ああ。何も変わりはない」
毎日の定期連絡だ。
別にいいのに。
「それより、履歴書ってどこで売ってる?………バイトするんだ。……近くだよ。ああ、僕の勝手だろう?別に迷惑かけるわけじゃない。………尚、っと…知り合いに紹介してもらって。道路向いのビルの地下にあるライブハウスだ。もう決めた。で?履歴書!………コンビニやスーパーでも?…分かった。ありがとう」
すぐに電話を切ると遥冬は履歴書を買うためにコンビニに向かった。
翌週からバイトが始まった。
ライブハウスでは店が始まる前にテーブルを拭いたり備品をチェックしたりする。これなら愛想なくても大丈夫だ。お客さんが来てからもメインはバンドの生ライブなので、注文されたドリンクなどを運ぶのにそこまで愛想はなくてもいいらしいのに安心した。
「こんにちは~!配達に……」
ドアが開いて声がしたのにテーブルを拭いていた遥冬とその声の主は顔を合わせて固まった。
「え、ええと…?」
誰?という顔をされた。
「岳斗くん」
「あ、千尋先輩の叔父さん!」
「新しくバイトに入った遥冬くんだ。岳斗くんも覚えてね」
これが<やまと>だ。
「尚くんの紹介なんだ」
「へえ!尚先輩の?あ、長谷川 岳斗です」
にこぉと人懐こそうな笑顔を浮べていた。
「……加々美 遥冬です」
「…はると、ってどういう字、です…か?」
「遥か彼方の遥かと冬」
「なんだ!斗って一緒かと思ったら違うんだ~」
「遥冬くん、岳斗くんはたまに酒屋さんのバイトで配達に来るから荷物受け取って伝票にサインしてね」
「はい。分かりました」
尚を先輩というならまだ高校生なのだろう。それでバイトしてるのか。
「じゃ、また来ます~!」
元気な声で岳斗くんがぱたぱたと出て行った。
あの子が岳斗。
ふぅん、と遥冬はその後姿を無表情で眺めた。
「遥冬くん?どうかしたかい?」
「え!?あ、いえ、なんでもないです…。あの、子は高校生…?」
「そう。遥冬くんは尚くんと年一緒でしょ?岳斗くんは高校三年生だよ」
ふぅん…。
<ちひろ>も尚も知ってる岳斗。
もやっと胸が不快感を訴えたのに遥冬は首を捻った。
人懐こそうで笑顔が輝いて見える。
笑った事なんてないのでは、と自分でも思ってしまう遥冬とは大違いだ。
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