いつ何を言われるかと千波は身構えたまま一日を終えた。
だが、結局朝の一言だけで孝明はそれ以降なにも言わないで一日を終え、そして帰って行った。
思わず孝明が帰って千波はほうっと息を吐き出してしまう。
……本当に胃が痛くなりそうだ。
コレが来週まで続くのか…。
でももしかしたら孝明もなかった事にしたいのかもしれない。
きっとそうだ。
なんだ、そっか、と千波は一人でほっとした。
そう思えば心が幾分軽くなる。
大体孝明はもてそうだし、実際男を相手にした事ないような事も言ってたし、彼女は今はいなくとも遊ぶような女はいるのだろう。
この年になってもキスもまだだった千波の方が気にしすぎなんだ。きっと。
自分に言い聞かせ日を過ごす。
孝明が何もなかったかのように何も言っては来ないのに心底千波はほっとしたのだ。
そう!きっと孝明だってなかった事にしたいのだろう。男となんて。
どうみたって背も高いし同性からみても羨ましいと思える孝明なら黙っていてももてるだろう。
なんで弟は背が高いのに自分は標準にちょっと足りないのか。
…きっと背の伸びる成分は弟が持っていったんだ。
小さい頃から大人しい性格で周りからは女の子だったらよかったのに、と何度言われた事か。
いい子を演じていた部分もあると思う。
でもそれが自分だった。
自分の主張というものもあまりなくどちらかといえば親の言う通りの生き方。
いまさら自分で何がしたいとかも思わないのでそれでいいのだとは思う。
先生業に苦痛も感じないし、生徒に頼られればまぁ、それなりに満足でもあるので不満はない。
学校からの評価もそれなりで、こうしてまだ教職になって日も浅いのに実習生を任されるのだって嬉しい事ではある。
問題はその実習生に弱みを握られている事だ。
幸いにも今の所、森 孝明は千波をどうこう考えているわけではないらしいのにただただほっとする。
このまま実習期間を無事終わってしまえばさようならでいいだろう。
そう。なかった事にすればいいんだ。
何も孝明が言わなくて、火曜も水曜も学校を終えたのにほっとした。
学校での孝明は伊達眼鏡の下で何を考えているのか全然見えない。
余計な事も言わないし、真面目に実習に取り組んでいるようにしか見えない。
先週の週末にあったアレは全部千波の思い違いではないのだろうか、と自分でも思ってしまう位だ。
でも確かに携帯に孝明の番号もメアドも入っている。
毎日何か言われるのではないかと半分心の中でびくびくしながら学校に行っていた。
学校からの帰り道が一日を無事終えて一番ほっと出来る時間になっていた。
「やれやれ…」
電車を降りて自分のアパートまで向かう途中で思わず声が漏れてしまった。
あと教育実習が終わるまで1週間ちょっとの我慢だ。
その時かすかにか細い何かの声が聞こえた。
……なんだ?
赤ちゃんの泣き声?
いや…。
思わず千波は足を止めた。
脇には公園があった。
もう日が暮れて誰もいない公園。
きっと日中は小さな子供の遊び場になっているだろう公園から何かが聞こえてくる。
もしかして…猫?
そのまま無視して行けという自分と放っておけないという自分が気持ちの中でせめぎあった。
少しの間足を止めて悩む。
声が聞こえなくなったのにどうしようか迷ってから足を公園に向かって出した。
「…猫?いるのか…?」
そっと声を出してみる。
なんて声をかけていいのか分からないしどこにいるかも分からない。
聞こえなくなったか細い声がまた聞こえた。
そっと聞こえたほうに千波は足を向ける。
まだ気持ちの中では迷っていた。
見ない振りしろという自分がいる。
「…あ…」
遊具の影のさらに木の陰にダンボールが置かれていた。
中を覗き込むとふるふると震えるまだ目も開かないような小さな子猫がいた。
「猫…大丈夫…か…?」
みゃう、と消えそうな声で答える。それが今にも消えそうで千波は動物に今までそんなに触れた事はなかったのだが自分から手を差し出した。
手のひらに乗るくらい小さい。
寒いのかふるふる震えている。
どうしたらいいのかとこの潰してしまいそうな小さな生き物に途方に暮れた。
とりあえず寒そうなので自分のスーツの上着を脱いでそれにくるんだ。
さてどうしたらいいのだろうか…?
こんな時千波には誰に何を聞いていいのかも全然分からないのだが、震える小さな消えそうな子猫を落とさないように気をつけ携帯を手にした。
テーマ : 自作BL小説
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