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熱視線 幻想~ファンタジア~9

 明羅はアンコールの声がかかる中必死でハンカチで涙をふき取っていると、舞台袖に一回下がった怜がまた出てきてピアノに座った。
 <エロワルツ>だ。
 いや、あまりエロくない弾き方のほうの。
 だけど、所々エロく弾いてる。
 これ絶対わざとだ。
 恥かしい!
 怜さんのワルツはどお?
 そう怜のお父さんに聞きたかった。
 でももうそんなのどうでもよかった。


 早く怜さんの傍に行きたい。
 早く終わって。
 アンコールは1回だけ。
 いつも二階堂 怜はそうだった。
 <エロワルツ>を終えても拍手が鳴り止まないけど怜は何回も一礼するだけでもうピアノには座らなかった。
 そして客席に照明が戻り、明羅はすぐに控え室に向かった。
 怜のお父さんも宗も伊藤さんももうどうでもよくて。


 控え室で燕尾服の上着を脱いだ怜さんに何も言わないで抱きついた。
 怜さんも何も言わなくてただ抱きしめてくれてキスした。

 
 どれくらいそうしていたのか、しばらくするとノックが聞こえて、慌てて明羅は怜から離れた。
 「おおい、怜。サイン会」
 生方さんの声だった。
 ドアを開けるとやっぱり生方さんで、隣にお父さんと宗と伊藤さんもいた。
 「サイン会?」
 明羅が生方と怜を見た。
 「…らしい」
 怜が頷く。
 「CD出したし!CD売り上げのため!」
 生方が拳を握って力説するのに明羅が口を開いた。
 「………俺も並ぶ」
 「馬鹿か!?」
 明羅が憮然として言えば怜が声を上げた。
 「お前は大人しくここで待っとけ」
 「………」
 面白くない。
 けれどやっといくらか冷静さが戻ってきて怜さんのお父さんの顔と宗の顔を見た。
 「よかったでしょ?」
 「……悪くはない」
 お父さんが苦虫を潰したような顔で言った。
 宗は何も言わないで怜に拳を突き出して、怜はそれに答える。
 「俺は帰る。じゃ」
 宗は何も言わないでそのままいなくなった。
 「伊藤さん…どう?録音の時と違った、でしょ?」
 「ええ。興奮してます…。いいものを聴かせていただきました」
 怜に深々と伊藤さんは頭を下げた。
 「いえ、これからも調律、お願いします」
 怜が満足そうなのに明羅も顔が弛みそうになってくる。
 「こちらこそ」
 伊藤さんがにっこりと微笑んで帰って行った。
 「怜はまだ時間がかかるのだろう?明羅くんは私が送って行こうか?」
 怜さんのお父さんが嬉々とした声を出した。
 「いりません」
 「結構です」
 明羅と怜が断れば情けない顔をする。
 「食事でもどうかね?」
 さらに明羅にだけ誘ってくるけれど、それも勿論明羅は首を振った。
 「怜さん行って来て。待ってる」
 「おう」
 怜さんはお父さんを無理やり引っ張り、控え室を出て行ったのに思わず明羅は笑いが漏れた。


 明羅はしんとした控え室で目を閉じ、ずっと怜の演奏の反芻をしていた。
 一番初めから全部。
 一音一音の細部まで全部覚えている。
 客席の雰囲気。
 一体感。
 あのスタンディングオベーションの瞬間明羅の身体は総毛だった。
 思い出しただけでも背中に戦慄が走る。
 ずっとずっと一人で記憶を巻き戻していた。
 
 
 「明羅?」
 怜の声にはっとした。
 「え?もう終わったの?」
 「……もう?結構な時間かかったぞ」
 「あ、…そう?」
 思い出して浸っていたら全部終わっていたらしい。
 「あ、生方さん。お疲れ様でした」
 「明羅くんもお疲れ。よかったね」
 「……はい」
 怜さんは燕尾服を脱いでいつものジーンズに着替え、髪も戻す。
 ちょっと勿体無いかも、と思って見てれば怜が睨んだ。
 「なんだ?」
 明羅の思ってる事なんて知ってる顔だ。
 「ううん~?」
 別に、と明羅は視線を避けた。
 それよりも早く帰りたい。
 怜さんの家に。
 ここはまだ片付けにばたばたとして人の気配がありすぎる。
 
 
 「じゃ、しばらくはゆっくり休んで」
 生方と分かれて明羅は怜と一緒に車に乗り込んだ。
 「どっかで飯食ってくか?」
 すでに時間は夜8時を過ぎている。
 「……ううん。……早く帰りたい」
 怜も何も言わずに頷いた。
 クリスマスのイルミネーションがあちこちで煌々と流れる中、怜の車は家に向かった。
 いっぱい言いたい事はあるのに言えなくて。
 色々な思いが渦巻きすぎて。
 ずっと車の中は無言だった。
 でも全然気にならない。
 きっと怜さんも同じだから。
 何も言わなくてもお互いが分かっている、そう思えた。
 
 

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