孝明のいない日二日目。
孝明からの電話で目を覚ましてまたいつもと同じ日がはじまる。
そう…。
孝明とミューがいなければ本当につまらない毎日だ。
同じ時間に起きて学校に行って授業して。
あるのは日々の小さな変化だけだったんだ。
それがミューと孝明のおかげで優しい気持ちが溢れている、と思う。
「行ってくるね」
玄関で見送るミューはいつも寂しそうに見えて仕方ない。
勝手に思っているだけかもしれないけれど、いつも後ろ髪引かれる思いをしながら家を出て行く。
外に出れば昨日の帰りに感じた不安が馬鹿みたいに思える位に天気がいい。
きっと昨日は孝明が帰ってもいない、と思って過剰になっていたのだろう。
馬鹿だな、と千波は自嘲を浮べた。
昨日と同じような時間、孝明からも同じく着いたらメール下さい、と入っていて、変わらない日がまた一日終わるんだ、と千波は帰りの電車を待ちながら携帯の孝明からのメールを見た。
今日を終わればあと一日だ。
そう思ってふっと表情を和らげた時にまたも視線を感じ、ぱっと千波は顔を上げた。
ゆっくりと周囲を見渡すけれど皆帰宅時間で人が多いし、千波を凝視しているような視線は見当たらない。
でも昨日に続いて、と千波は神経を尖らせた。
気にしすぎだろう、とも心のどこかでは思っている。
若い女の子なら分かるけれど。
そう思って自分を納得させようとした。
電車に乗ってもなんとなく落ち着かない。
よほど前の駅で降りようか、とも思ったけれど気のせいだ、と自分に言い聞かせた。
いつもの様に自分の利用する駅で降り、それでも確かめるようにと少し歩くスピードを落としてみた。
いつもはミューが待っているからすたすたと一目散に部屋に向かっていたけれど…。
ゆっくり歩く千波を同じ駅で降りた人で同じ方向に歩いていく人がどんどんと追い抜いていく。
千波はちりちりとやはり視線を感じるような気がした。
色々考えて、千尋が芸能人でその関係か?と思い当たる。
ありえる。
でもあんまり千尋はメディアには出ていないし…。
千波を追いかけてきたところで千尋と頻繁に会っているわけでもないのに…。
やっぱ違うのか?
ぐるぐると頭の中で色々と考える。
ゆっくりの歩調にそれでも感じる視線。
千波は携帯を取り出した。
『おかえりなさい』
聞こえる声にはぁ、と千波は安堵の声を漏らした。
「…いや、まだ道の途中なんだ」
『…どうかしましたか?』
「どうか、ってほど、じゃ…声が聞きたくて…」
孝明と電話が繋がっていれば安心なような気がしただけだ。
そもそも視線を感じているのだって本当かどうかなんて分からないのだから。
『なんですか?何があった?』
孝明の声が厳しくなった。
「何も!ない…今、ミュー拾った公園の所なんだ。電話、部屋つくまでこのままでいい、か?」
忙しい、だろうか?
『勿論。心配事ですか?』
「いや、気のせいかと…思うんだが…視線を…その…感じる気がして…」
『…もしかして昨日も?』
「ええ…と…まぁ……でもホント確かめたわけじゃないし」
『一人で無茶はやめてくださいよ!』
「しないよ!」
『今は?』
「……分からない…。どうだろう…」
くっそ!と電話口で孝明の声が聞こえる。
『千波さん、今どこまで来ましたか?』
「もうすぐ着く」
孝明の声が焦っているのに少しだけ千波の心が浮上してしまう。
心配しているのが口調と声で分かる。
「着いた」
がちゃりと鍵を開けて中に入る前に視線を通路に向けたけれど誰もいなかった。
やはり気のせいだろう。
「今見たけど誰もいなかったよ?」
『鍵締めましたか?』
「ああ。もう大丈夫だ」
ほうと千波が溜息を吐き出せば孝明も同じように溜息を吐き出しているのが聞こえた。
「やっぱ気のせいかも。バカだな…」
『いえ!用心にこしたことないです。覗き穴から外見て?誰もいない?』
千波はどきどきしながら覗いてみた。
「……いない」
玄関でミューがどうしたの?という顔をして座っていたのに思わずぷっと笑ってしまった。
「気にしすぎだよな?きっと孝明がいないからだ!」
『……それは寂しいって事ですか?』
部屋に帰ってきて安心して軽口になってくる。
「……そういう事にしといてもいい」
『…ああ!もう!今すぐ行きたいところですけど!駅一つなのに!その距離がもどかしい』
苛立った孝明の声に千波はくすと笑った。
『今日と明日…あと少しだけ待ってて下さい。なにかあったらすぐに電話。いいですね?』
「ああ…うん」
少しだけ。孝明のその言葉に千波は頷いた。
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