「あ、なんだ菅野くんか…」
ほうっと千波は大きく息を吐き出した。
「丁度いい、誰か不審者とかいなかったか…?」
「不審者?いいえ?全然気付きませんでした」
「あ、そう……?」
いや、どうしてここに菅野くんが…?
孝明が気をつけろ、と散々言っていた事を思い出した。
いやな動悸がまた千波を襲ってくる。
「菅野くんはどうして…ここ、に…?」
「篠崎先生の後ろついてきたからですけど?」
なんの悪びれもないようにあっけらかんと菅野くんがにこやかに笑った。
この子が…視線の主…?
「ここは学区外…だろう?」
「そんなの守ってるヤツなんていないですよ?」
くすくすと笑う。
一回家に帰っているのか私服だ。
だから駅でも気付かなかったのか。
「篠崎先生ずっと数学研究室にいないから…あんまり話せないし…。それに佐藤先生が結婚なんて言ってたから…。でも結婚じゃない、ですよね?知ってるんだ…首にもキスマークついてたの。あれ見てから…篠崎先生はどんな風な顔してイくんだろうとか考えちゃって…」
首にも!?
見える所についてた事があったのか!?
というか、キスマーク、とか!
中学生で言うことか!?
…千波が中学生の時はあんまり詳しくなかったけど、今どきの子はすすんでるのか!?
「気になって…女の人でキスマークを男につける人珍しい、と思ってたけど、……違うよね?ペットショップに一緒にいた男の人だ」
「!」
「篠崎先生より背が高くてかっこいい人。…遠目からしか見てないけど。あの人に篠崎先生がされてるんだ…それ考えたら止まんなくて…篠崎先生の綺麗な顔がイくとこ見たくて」
じり、と菅野くんが千波に近づいた。
中学生でもすでに千波より身長が大きいし体格もいい。
「ここ篠崎先生の彼氏住んでた部屋?篠崎先生のアパートはもう一つ先の駅だよね?…でも住んでいないみたいだよ?」
ぐっと千波は言葉が詰まった。
「ふられちゃったの?…俺がしてやる?篠崎先生のイくとこ見せて?」
誰が見せるか!
そんなの…一人だけで十分だ。
後ろ摺さった千波は元孝明の部屋のドアにぶつかった。
「篠崎先生…」
「やめろ!目を覚ましなさい!」
「おきてますよ?起きててもずっと篠崎先生の顔がチラつくんです。寝てても…ずっと…本当の篠崎先生のイくとこ見たら治まるかな、と思って。数学研究室で一人になったら、と思ってたのに全然行かないし」
孝明の忠告を聞いといてよかった!と心底千波はほっとした。学校でだったらとんでもない事になってた。
…今だって十分とんでもない事になってるけど。
それでもまだどうにか、ここから去って大通りまで出ればどうにかなる。
ただ運動が得意ではない千波が中学生の県の優秀選手に選ばれるようなやつを振り切れるだろうか、が問題だ。
どうしようか、と冷や汗が流れてくる。
「菅野くん」
「諭そうとしたって無駄ですよ?何度も何度も打ち消したのに消えなかった篠崎先生が悪い」
千波は眼鏡の下から視線を菅野くんに向けた。
「その綺麗な顔が歪むところが見たくて」
どこか夢見心地のような菅野くんがかえって不気味だった。
どうしたら…。
孝明にされている時は逃げる事なんて考える事などないのに、それを思えばやっぱり自分は誰でもいいんじゃなかったんだ、と変な所で安堵した。
自分は誰でもいい淫乱かと思ったけど、どうやら違うらしい。
だが今はそこじゃなくてどうやって逃げるか、だ。
孝明がここにいない今、自分しかいない。
「篠崎先生…」
「千波っ!」
大きな声が響いた。
え…?
孝明…?
「篠崎先生っ」
菅野くんが千波の身体を捕まえようとしたその手を飛ぶように走ってきた孝明が叩き落し、千波の身体を思いきり強く抱きしめてきた。
「…たかあ、き…?」
ぜいぜいと息を切らし、汗だくで髪が振り乱れている。
どこから来たんだ?
「何やってるんですか!?あなたは!……」
そして孝明は目の前にいた菅野くんを見て息を飲み、千波をほら見なさい、と言う顔で眺めた。
「…俺の言ってたの間違いじゃなかったでしょう?」
そこは確かにそうで千波は黙ってしまう。
「本当に突拍子もない事するんですから!少しも安心できない!」
…悪いのは僕なのか?
千波は思わずむうっと眉間に皺を寄せた。
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