軽やかに男の指が音を紡ぎ出し始めた。
うまい!
テンポも一定。強弱もいい。
ずっと弾いていないと言っていたように時折余計な音が飛び出る事があるが…、ああ、あともうちょっと溜めればもっといいのに、とか細かな所に言いたい所が多々あったが…全体的には文句なしにいい!
8年弾いていないと言った指だがかなり動いている。音も余計な音を鳴らさない。
…何より音楽を知っている…。
音を外しても間違っても止まる事なく、曲の流れを止めない。
…あんなに緊張すると言っててこれか?
少しばかり凪は面白くない感じになってきた。8年もピアノから離れれててこれ?
…音大に行きたかった、と言ったのも頷ける。
この男と同じように8年もピアノから離れ、そしてこうして人前で弾く事を果たして自分は出来るだろうか?と考えてしまう。
…多分凪は無理だ。
楽譜のページを凪が捲るが男はほとんど楽譜は見ていない。やはり男性の方がピアノの音は力強い。響きが全然違う。あとはもう少し丁寧に繊細に…だろうか…?
そこら辺は緊張しているのも関係しているのかもしれないが…。
早い曲はあっという間に演奏が終わってしまった。
「………いいと思うけど…?レッスン必要?」
思わず疑問をぶつけると男は凪を見てきょとんとした。
「…だって…自分で音間違った所は分かっているでしょう?そんなそんな僕が教えるような所ってあまりないような…?」
「…そうですか?全然?」
「い、や…全然ってわけじゃないけど…もうちょっと丁寧に弾けばいいかなとか…急いじゃうところも少しあるとこもあるかな…とか。でも全体的に…」
「そういう細かいとこですよ。程ほど弾けてるのは分かってますけどね」
……コイツは自信家の男らしい。
「今の弾き方だとオナニーして自分で満足しちゃってイってる感じでしょ?」
「っ!」
オナニーって!何言ってっ!
かぁっと思わず凪の顔が赤くなってくる。
「…………先生、初心いですね…。とにかく自分でもよく分かっているけど、そういうとこ…直せたらって。昔は全然そんな事にも気付いてないでいい気になって弾いてたんですけど」
「…それ位弾ければそうなるでしょうね」
オナニーの所は触れないでスルーしとく。
「じゃ、細かくいきましょうか…初めから…」
隣のピアノに座ってたまに一緒に弾きながら説明したり、手でカウントとったり、細かな所を熱心にしてしまった。
…体験レッスンだったのに…ぎっちり1時間も…。
だって…つい。注意してすぐ直って弾けるのがさすがで、教えるほうも熱心になってしまった。
早弾きがぎこちないのは年数弾いてないから当たり前でそれは時間と練習が必要なことでここで直すような事ではない。
「……つい熱心になってしまった…体験で1時間も…」
「すみません」
男が謝ってきたので凪は慌てて首を横に振った。
「いえ!僕は全然!弾ける人に教えるのは楽しいですから」
「そうですか…?あ…しまった!これ先にお渡ししようと思って緊張のあまり忘れてました。少しですけど、どうぞ」
男が荷物で持っていた箱を凪に渡して来た。それは近所のパティスリーのケーキの箱だ。
「…ありがとうございます」
ケーキか?凪にとっては見慣れた箱。月に一回…たまに我慢出来なくて行っちゃう時もあるけど、そこのケーキが自分の楽しみでご褒美だ。
思わず顔が綻ぶと男が凪を凝視していた。
「な、何?」
「…いえ」
くすと笑われたのにケーキ好きなの知られたかな?とちょっと恥かしくなる。
「今日のレッスン料は…?」
「今日の分は体験なのでいいですけど、あなたくらい弾けると…上級者で…1時間レッスンでワンレッスン制になるんですけど…それでも…?」
「いいです。お願い致します」
「………火曜日お仕事お休みなんですよね?」
凪も本当はレッスンを入れていないのだが…大人のレッスンだし…いいかな…と考え、頷いた。
火曜日は自分の練習の為に空けていたけれどこういうレッスンは楽しいし刺激になる。
「今日と同じ時間でも?都合が悪いときは連絡いれていただければそれで構いませんので」
「いいですか?そうしていただけると助かります。あ、三塚 絋士と言います。よろしくお願い致します」
「僕は高比良 凪です。…あの失礼ですけど年おいくつ?」
「俺?26です」
「あ…やっぱり…一緒」
「そうですか?」
「ええ…男性で…これ位弾けてって…」
「俺も先生が男性だと聞いて。それなら、と…」
顔を合わせて互いに笑みを浮べる。
うん…悪くない感じかな…。
凪は先が楽しみになってきた。
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